丹沢の大山と大山阿夫利神社に行ってきました。
久しぶりに会う友人と、前日に鶴巻温泉でゆっくりしました。
レトロな大和旅館に宿をとりました。
お風呂に入っている間に布団も夕飯もセットしてくれていて、至れり尽くせりというかんじでした。
大和旅館は食事を部屋で配膳してくれるので、のんびり、ゆっくり、おしゃべりしながら豪華な夕食に舌鼓を打てます。
彼女とは熊野古道を歩いたり、一緒に着物をきて色々なところに出かける仲で、二人っきりで会いたいとおもう大切な友人の一人です。
わたしも話したいことがいっぱいあったし、彼女の話もとことん聞きたかったので、この旅館にして良かったなあとおもいました。
食事が豪華な宿は沢山ありますが、広間や食事のところに行くと、他人の目もあるし、ここまでくつろげなかったとおもいます。
夜更けまで布団に入りながら女学生のころのようにおしゃべりは続きました。
わたしと彼女は性格など正反対で、騒がしくせわしないわたしに対し、彼女はおっとりとしていて優しいです。
そんな違うわたしたちですが、学生時代から今と環境が変わってもずっと縁がつながっているのは、根っこの部分で、何を大切にしていて何を許せないかなどの部分が一緒だからなのかもとおもいました。
朝は9時からまた部屋で朝食をいただきました。朝からしっかりご飯をいただいて、わたしはおかわりして二杯もいただいちゃいました。
それから、一駅隣の伊勢原駅へ。駅前にはすでに大きな鳥居があります。
駅前のバス停からバスに乗って、30分ほどで、大山ケーブルのバス停まで向かいます。
この日は雨が降っていて、参拝者も登山客も少なめでした。
バス停から階段をあがっていくと、昔からの宿坊や、猪鍋や鹿鍋、豆腐料理が食べられるお店、お土産物屋などが軒を連ねている“こま参道”があります。
お店にくっつくかたちで、滝と小さなお社がありました。
池では大きな鯉が泳いでいます。
大山は別名雨降り山ともいわれているようで、この日も雨なのもその名前に違わないなとおもいました。
わたしは現地に行って初めて知ったのですが、大山は大山神社の前に大山寺もあるようで、ケーブルカーでも途中下車できるようなので、寄ってみることにしました。
ケーブル乗り場の前には根之元神社があります。
御祭神は磐裂(イワサクノカミ)、根裂神 (ネサクノカミ )、石筒之男神 ( イワツツノオノカミ)とあります。
これは古事記でイザナミが火の神であるヒノカグツチノカミを出産して死んだときに、イザナギがこの神を斬り、その剣の先から生まれた神々です。
悪縁・邪念を断ち切り、開運・病魔退散のご利益があるとして信仰されてきました。
ここで拝んで、悪いものを払ってもらってから山に入るのも良いなとおもいました。
ケーブルカーで3分で大山寺につきます。
ぐいぐい高度が上がっていくので乗っていて楽しいです。もう山の中という風景ですね。ケーブルカーの駅からお寺までは5分ほど歩きます。
さすが雨降山、大きなガマガエルがいました。しかも2匹も!!大人の握りこぶしより大きいくらいで、迫力があります。
大山寺までの参拝道には餓鬼の灯篭もあります。
これなど、苦し気な表情がコミカルで、可愛さもあります。
昔から「大山不動さん」と呼ばれて親しまれた大山寺は、天平時代(755年)に奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の孝養のために建てたといわれています。
大山寺縁起絵巻では、赤子の時に大鷲にさらわれた良弁を捜して、日本国中を訪ね廻った父母が盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王のお導きで親子の再会ができたと書かれています。
良弁と親しかった聖武天皇はこのエピソードに深く感動して、大山寺を勅願寺としたそうです。寺はその後いくたびか災厄にあいましたが、鎌倉。足利、徳川と時の幕府の保護が篤く、その都度再建されたそうです。
今では真言宗大覚寺派のお寺になっており、関東三大不動の一つでもあります。珍しいことに、このお寺は檀家がいないお寺です。
なので、檀家によるお布施などの収入がないので、このお寺を保つには大山に登ってきた参拝者のお賽銭やお守りなどの代金によるしかないそうです。そうおもうと、普段より多めにお賽銭を入れたくなります。
そして、山の中にあって、神社とお寺が両方あることからもわかりますが、このお寺は山岳宗教、修験道の道場でもありました。
この修験者だちが大山不動信仰を広め、その象徴である天狗のお面が今も土産物屋で売られています。
庶民にとっては、多くの人々の間で、子どもたちが親の職業を立派に引き継げるよう加護を受けるとして人気だったようです。
職業が決まっていた江戸時代まで、生きる術や技術を子に引き継ぐことは、親の一番の願いだったのかもしれないとおもいました。
ここのご本尊の不動明王と、矜羯羅童子、制多迦童子の三体は珍しい鉄製です。力強い感じがしますね。国の重文に指定されています。
唐風の塔も建っています。
正面の階段は下から上がってくるのは大変そうです。両側に紅葉の木があるので、紅葉の時期は真っ赤に染まって綺麗だろうなあとおもいました。でも、今年の紅葉は遅そうだし、台風などが続き日照時間がなかったことで、色づきが悪そうですね。
ずらっと並ぶ童子たちも可愛らしいです。
良いお寺でしたが、雨で寒く長居はせずにケーブルカーまで戻りました。
そこから大山神社までも3分くらいです。石の階段を歩いて登ります。
階段のところにはカエルの像がありました。じゃあ、さっき見たカエルは神仏のお使いだったのかも!?
大きな鳥居がみえて、山をバックに神社が現れます。
本殿の向かって左手には、大山獅子という獅子の親子とそれを取り巻く十二支の親子の像があります。
この親子の像がとっても可愛くて、竜の子どもは子竜だけど、蛇の子どもは卵なのかあとか見ていて楽しいです。
それから本殿でしっかりお参りしました。
大山阿夫利神社の創建は古く、第10代崇神天皇の頃(紀元前97年)と伝えられています。それだけ古くから、大山からの丹沢山系は霊山としてパワーを持っていたんだとおもいます。
御祭神として山の神である大山祇神を祀っていて、ここは中腹の下社で、山頂には本社があります。
本殿と授与所の間を入っていくと、大山に湧き出たご神水をいただけるところがあります。
うちの父は持病に加え、最近になって原因のはっきりしない、対処のしようがない突発性の頭位眩暈に悩まされています。
病院で検査しても、脳にも血圧にも特に異常はなく、三半規管がおかしい場合、現在の医療では出来ることがないといわれてしまいました。
ここで、父の病状に利くようにお願いしてから、お水を持ち帰り用にいただきました。
さらに奥に進むと、岩に接する場所で拝所があります。ここで先ほどのペットボトルのフタをあけて、先ほどより詳しく父の病状を説明して、どうか苦しむ発作が減りますようにとお願いしました。
その後、季節の変わり目が過ぎたことで体調が落ち着いたのか、同時期に藁にもすがる思いで飲み始めた漢方が効いたのかはわかりませんが、漢方をこのご神水で飲むようになってから、多いときは一週間のうち3日も会社に行けないくらいひどかった父の眩暈が、今のところ起きていません。
もちろん病院で専門家の治療を受けることがまず大切ですが、それでもどうしようもないとき、思い込みによるプラシーボ効果だとしても、縋るものがあるというのは本人にとっても家族にとっても有難いなあとおもいます。
何もできないよりは、これだけしたんだから大丈夫!と思えるほうが、心は安定しますよね。
この神社の奥では、神仏習合や修験道の名残なのか、剣の形の奉納物などがありました。
境内から伊勢原の町と海を見渡せます。天気の良いときは海まで見えるようですが、この日はあいにく白くけぶっていました。
今からもう6年前になりますが、10月に登山で大山を登った時は、晴れていました。
車でヤビツ峠までゆき、そこから登山道へはいります。
修験道の霊山だけあって、かつては女人結界がありました。
“ここより女人禁制”の文字があると、身が引き締まるというか、もう現在はOKとはいえ入るにはちょっと気が引けるような、申し訳ない気持ちになります。
気持ちおとなしめに、丹沢の山々を眺めながら登っていきます。
大山は丹沢国定公園なんですね。石の標識と一緒に石の鳥居があります。
こちらが大山阿夫利神社の山頂にある本社です。
赤い屋根の簡素なお社ですが、親しみやすいです。
横から見ると、簡素ながらちゃんと拝殿と本殿に分かれているのがわかります。
わたしは、山の上の祠でもお社でもみるといつでも、この山の上までそれらを運んできたり、建てたりした人の一生懸命さや信仰心に感動したり、すごいなあとおもいます。
しかし、このとき一緒に山を登ったパーティーには、自然を大切におもう気持ちから、山頂にこういった人工建造物があることがあまり好きではないという人もいて、その意見はわたしの中にはなかったので、とても驚きましたし、いろいろ考えさせられました。
たしかに、その気持ちもわかるところはあります。わたしも山の風景が好きで、山の中にアンテナや電信の線などの人工物があると、“あれさえなければなあ~良い写真になるのに”などと思ったことがあります。
もしくはその人は、自分の宗教観によって、山頂にお社やお宮や祠があることで、なんだか強要されているような気持になるのかもしれません。
でも、わたしにとっては、山頂のお社は人が自分の利益や便利のためではなく、そこにいるだろう神仏のためだったり、それを拝みに来る他の人々のために作ったものだから、そういう綺麗な気持ちでつくったものはとても気持ちの良いものにかんじるのです。
里の社寺仏閣にくらべて、山頂の奥宮は簡素だったり、ひっそりとある石の小さいものだったり、素朴なものが多いです。それも、普通の人の素朴な信仰心の表れのようで、いいなあとおもいます。
そして、わたしたちが快適に登山を楽しめるのは登山道が整備されているからですが、これだって見ようによったら立派な人工物を山につくっていることになりますよね。
しかし、それは有難いとして恩恵を受けています。まだ山が険しい場所だった時から、山を開いて修行していた山伏や修験者たち先人のおかげです。そうならば、彼らが大切に思っていた山の信仰も、後から山を登らせていただくわたしたちは敬意をもって尊重したほうがいいのではないかとおもいました。これは他の宗教を否定するものではなく、“郷に入っては郷に従え”の精神で、山の信仰は山の先人たちを立てておこうよ、というわたしの個人的な意見です。
でも、当時はもやもやとしたわたしの気持ちを、理系男子のみなさんにうまく説明できず歯がゆいおもいをしました。
今でも、これを言ったところで彼から賛同は得られないかもしれませんが、6年越しに自分の気持ちを言葉にできて、いまちょっとすっきりしました。
この日は山頂からは青空と遠くまで平野が見渡せました。
しかし、昼食をとっている間にみるみるうちに曇ってきました。
日がかげると、途端に寒く感じました。
そのかわり、とても幻想的な、神さまがおりてくるような美しい風景を見ることができました。
さて、雨だった先日の大山ですが、寒い中歩き回って体力を消耗したので、こま参道で豆腐御前をいただきました。
煮物が温かくて美味しかったです。
ここのお店は安倍首相も来た有名なお店のようなんですが、ご主人がとても陽気で話好きな方でした。
思えば、昨夜泊まった大和旅館の仲居さんも、バス停で出会ったおじさまも、みんな話し好きで人懐っこい人ばっかりでした。
伊勢原の人って、こういう人たちが多いのかな?と印象に残ったプチ旅行でした。
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