5/13(水) お遍路18日目
昨日一日中雨に打たれていた疲れもあり、久しぶりにゆっくり朝7:30に起床。
昨日とうってかわって天気晴朗ナレドモ風強シ。
まずはコンビニでポンカンジュースとパン、御線香がなくなってきたので購入してから、道後温泉アーケード内の観光案内所でレンタサイクルを借りました。
自転車に乗って、まずは宿のすぐ近くの湯神社へ。
それから長い階段を上がって伊佐爾波神社へ参拝。
仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に立ち寄った際に建てられた神社だそうです。
重文の社殿は京都の石清水八幡宮を模した、大分の宇佐神宮と並んで全国に3例しかない整った八幡造りとのこと。
その後、秋山好古のお墓がある鷺谷墓地へ。急な坂を登った先にありました。
墓前にポンカンジュースと御線香をお供えして、好古さんに今の日本のことや、わたしのこれからの身の振り方などの決意を、勝手に語りかけました笑
道後公園 湯築城跡の中で朝食。
ここから、松山でぜひ立ち寄りたかった秋山兄弟の生誕地へ。
秋山家の生家が復元されていて、とても小さく、質素な造りに驚きました。
パネルにある若い頃の好古さんがハンサムすぎて、イケメンという言葉では軽すぎるくらいの日本人離れした容貌でした。
真之さんも彫りが深いハンサムで、夏目漱石もぱっちり二重のイケメンで、松山にはイケメン養成の土壌があるのでしょうか?凄すぎます。
NHKのドラマ「坂の上の雲」のときに秋山兄弟を演じた阿部さんと本木さんも生家に来ていたらしく、銅像の隣に立った写真が飾ってありましたが、銅像の秋山兄弟もイケメン俳優さんに負けない格好良さです。
好古さんは大将にもなったのに、その後中学校の校長になったということで、生活も質素でシンプルだったようです。
「坂の上の雲ミュージアム」は大きな船のような建物で素敵でした。
展示は司馬遼太郎の「坂の上の雲」のあらすじカクニンというかんじで、内容にあまり新鮮な発見などはありませんでしたが、年表でみてみると秋山兄弟がまだ子どもの頃にまだ坂本龍馬が生きていたり、明治に時代が変わる時期ということを実感したし、松山藩の苦労もわかりました。
真之の書いた文章に、”戦争はなくならないと思うが、もしいつか本当に人類が成熟して不要になれば良いとは思う”という言葉がありました。
そして、彼は最後まで「米国とことを構えるな」と言っていたそうです。
坂の上の雲のあとがきで司馬遼太郎が書いていた
この時代が日本人が冷静に戦争を戦えた最後の時代で、この勝利によって熱狂したまま太平洋戦争に突き進んだのは、真に戦争の勝負の良い悪いとは皮肉なものだ、という言葉が重いです。
戦後70年たった今、憲法や安全保障の問題、海外派兵についてなど揉めてしますが、いったいどのくらいの人か冷静に議論できているのか疑問に思います。
この手の話題が出たときに、自分と違う意見をヒステリックに感情的に攻撃する人、パフォーマンス的に抗議する人たちばかりが目立って、冷静なメリットデメリットの討論や比較検討する段階まで程遠く、結論ありきの議論では意味がないと思います。
願望や感情ではない、自分のフィルターをなるべくかけない、冷静な目でものごとを認識することの大切さを、展示をみて今の日本に必要なことだなと感じました。
すぐ隣の萬翠荘に寄ってバラの展示を見てから、
今は庭園や流水園になっているところにも昔は全て建物が建っていたと思うと、城の規模の大きさがわかります。
大井戸の跡が残っています。
ここから登ると城まで15分かかると言われたので、レンタサイクルでぐるっとまわってロープウェイの入り口まで行きました。
登りは1人乗りのリフトに乗り、足をブラブラさせながら上空の松山城へ。
こんなに高く登るのでは、攻める方はさぞ大変だっただろうなあ。
松山城は小天守閣と大天守閣、櫓に門など残っていて “城!”ってかんじが出ていて楽しいです。
高知城と違って平日で人が少なく、のんびり座ったり天守閣から広々と見渡せました。殿様気分満喫です。
公園内では伊予柑アイスを食べました。ジュレがついていて美味しかったです。
下りはロープウェイに乗りました。
「坊ちゃん」のマドンナ姿のお姉さんが松山の町を案内してくれます。
それから、松山市駅方面の子規堂へ。
わたしは俳句のことはあまり良くわからず、子規が追求した写実的な俳諧の良さもいまいちピンときていなかったのですが、彼の写実的な絵を見て、対象を観察して写し取る真摯なまなざしを感じました。
この写生は子規が脊椎カリエスで背中に穴が開き膿が流れるという壮絶な苦しみの中で描かれたものだそうです。
有名な横顔の写真は、写真を撮ろうと起き上がったものの、痛みで身体の向きが変えられずに横から写したものだそうです。
子規の病の様子は凄まじい。
その状況で、筆をとり書く句や写生の美しいこと。
時間、その一瞬一瞬を大切に、愛情をもって見つめる。
子規が見つめた生の美しさ、子規のまなざしのあまりのひたむきさに涙が出ました。
それは子規の境遇が可哀想だからではなく、そうして作られた作品が美しくて尊いからです。ここまで身体が削られて、さらに魂が輝くということ。それを目の当たりにしました。
道後まで戻ってレンタサイクルを返却した後、歩いて松山市立子規博物館へ行きました。
大きな立派な建物で、松山の人の子規愛がわかります。
中も広く、最初は子規というより松山の歴史と藩政治についての展示があり、その後子規とその周辺の人についての展示があります。
子規と夏目漱石が一緒に暮らした愚陀佛庵の再現や、「お立ちやれ、お立ちやれや 新菊の」という漱石から子規宛の句もあり、二人の仲の良さがわかります。
企画展のモノにまつわる展示では、子規が若いときに無銭旅行したときの笠と蓑を病床の壁にいつも飾っていたと知って、親近感が湧きました。
わたしも、いつの日かこの旅をそんなふうに懐かしむ日が来るのかなと思います。だから今が大事なんだ。
こうした人達に思いを寄せてから、わたしの現実のメールやラインでのやりとりを思うと、くだらなさにどうでもよくなってきてしまいました。
そんなに日常と同じように繋がっていたら、せっかく遍路でここに旅している意味がないな。しばらくメール断ちをしよう。と決意して、
一旦宿に帰ってゴロゴロしてから、今日は椿の湯へいきました。
道後温泉と水源は一緒らしいです。
道後は1人で入れる手頃な飲食店が少なかったような。
帰りにラーメンを食べて、洗濯してから就寝。
夜の道後は風情があります。
朱印300
コンビニ259
秋山兄弟生誕地 300
坂の上の雲ミュージアム400
萬翠荘 200
松山城1100
二の丸 100
子規堂 50
子規博物館 400
洗濯200
乾燥機100
宿2500
ラーメン670
アイス590
計7459
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