金沢能登旅②霊山白山の御来光と白山比咩神社

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9月末の白山山頂は風が強くとても寒く、薄手のダウンを着ていても、外で長時間はきついくらいでした。

前日の夕方は靄の中の登山でしたが、山頂についてから、夕日の時間だけ奇跡的に雲が晴れました。

雲海と山並みに太陽が沈んでいくのが本当に綺麗でした。

翌日は朝の4:30くらいから御前峰に登山開始。

ご来光を頂上でみるため、まだ薄暗闇の中ヘッドライトを点けて登ります。

明けの明星とご来光の光が山並みの輪郭を浮かび上がらせます。

 

30分くらいで高天原というところに到着。神さまが降り立ちそうな名前がついていて、ロマンティックです。

このくらいの標高だと神さまの目線なのかなぁとおもいます。

徐々に世界がはじまっていくのがみえます。

刻一刻と変わる世界が本当に美しくて、お山でのご来光はどこで見ても何度見でも心が震えます。

1時間くらいかけてゆっくり登って、5:30頃山頂 白山奥宮に登拝。

眼下に泊まっていた室堂の山荘が見えます。たった1時間ほどで、けっこう上まで登れるもんなんですよね。

世界が明けてからも、御来光まではしばし待ち時間。この時間が本当に寒い!!

山頂なので風よけもなく、岩に張り付いてすこしでも風のあたる部分を減らして待ちます。

5:45待望のご来光。

山間から太陽が見えたときには歓声をあげました。

靄がかった雲海に日の光が反射して、何重にも光の輪がみえます。

御来光のあと、どんどん曇ってきて、風も強いのでお鉢巡りはせずに下山することにしました。

お鉢の様子は上から眺めるとこんな感じ。

山荘近くの水たまりが氷が張っているのをみて、夜中に氷点下になっていたことがわかります。

薄く張った氷をバリバリ割るのって、冬の朝の楽しみですよね。わたしは寒いのが苦手で冬は鬱々とした気持ちになるのですが、これは数少ない冬のお楽しみです。

御来光を見せてくださったのは、白山の神さまのお計らいだったんだな、とおもうくらい、御来光のあとはあっという間に靄が出て、昨日と一緒の霧の中のお山になりました。

下山開始の8:00でこの光景です。

靄の中をサクサク歩いていきます。あまりにも靄がすごいので、あの一瞬だけでも御来光をしっかり見せていただいて神さまありがとうございます!という気持ちになって、本当にラッキーだったねと盛り上がりながら下山しました。

12:00に登山口に無事到着。

下界のほうは靄が晴れて晴天でした。

神社に行く前にまずは温泉へ!山登りのあとの温泉は本当に気持ちよく、この気持よさを味わうために山登りしているといっても過言ではありません(笑)

ふるさと交流センター 白山展望の湯へ。

ヒノキの浴槽につかって、登山の疲れを流しました。窓からは朝までいた白山の山頂が見えました。

2時間くらいゆっくり過ごして、お腹がすいたので近くの有名なお豆腐屋さん「山下ミツ商店」で濃厚豆乳プリンをいただきました。

それからいよいよ白山比咩神社へ。

名前の「白山」という響きや、神社の「ひめじんじゃ」という響きから女性的なイメージがありましたが、実際の白山のお山自体はけっこう険しいかんじで、女性的なお山という感じはしませんでした。

(行った季節も寒かったので、わたしの体感による印象です)

白山比咩神社の境内は、鳥居をくぐってから木漏れ日まで緑の色をしてそうな、気持ちの良いお山の気配のある参道から始まります。

この参道を歩くのが本当に気持ちよすぎて、この神社に来てよかった~!!という思いが湧いてきます。

お山より暖かく親しみやすい雰囲気がある気がしました。

本殿はこちら。白山の講の方がお参りされていました。

木々に囲まれた気持ちの良い境内です。

 

盤持石という古来のお祭りで力比べに使われた石がありました。

朝登拝した御前峰の奥宮の遥拝所もあります。

興味深いことに、白山信仰にまつわる文献を読むと、被差別部落での白山信仰が盛んというのがわかります。

(白山神社があるすべての場所が被差別部落というわけではありません)

前田速夫は「白の民族学へ」「白山信仰の謎と被差別部落」「日本原住民と被差別部落」など色々な角度から白山信仰について研究をおこないました。

前田速夫はこの著書の中で、「白」という清浄な色と響きによって、ケガレを払ってもらいたいと祈る被差別民の切実な祈りがここにあったのではと書いています。

前田速夫に示唆を与えたのが菊地山哉ですが、彼は被差別部落に白山神社が祀られている謎を解明しようと、白山千社詣りをして研究し賛否両論を呼びました。

わたし自身は、聖なるものに関わる人々や芸事関わる人々など、本来は崇拝の意味を込めて区別されていた人々や技能集団も、“自分たちと異なるひとたち”という一点で、定住しない技能集団や山家集団も含めて、聖職者までも被差別民となってしまったという成り立ちに、なぜという疑問があり、興味があります。

聖なるものに関わるという本来はすごく上位のものも、畏怖の対象であるという点で次第に差別の対象となってしまう。本来あった職業としての区別が、なぜ感情や上下関係を含んだ差別に変化してしまったのか。

被差別民については現代もタブーが多くあり、触れることには繊細な注意が必要ですが、山家などの山の民や山伏周辺にいる“まつろわぬものたち”、まつろわぬ神にまつろわぬ民、朝廷や中央集権や政府とは関わらない世界で生活が成り立っていた人たちの本来持っていた自由さについて、憧れの気持ちをもって負の部分以外のことをもっと知りたいとおもっています。

 

白山信仰からは、熊野信仰に通じる、身分の上下浄不浄に関わらずすべての人を受け止めるという、懐の深い信仰がある気がします。

そんな暖かい気持に満ちた白山神社でした。

 

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