上賀茂神社の立砂 秋の京都旅3日目 前編

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秋の京都旅 1日目の比叡山

2日目の高雄

ときまして、3日目は上賀茂神社へ。

何度も京都は訪れていますが、上賀茂神社を訪れたのは初めてです。京都御所のさらに奥の方にあるので、行こう!とおもわないとなかなか足を伸ばさない場所ですよね。

 

以前雨の下鴨神社に来て、上賀茂神社も寄りたいなとおもっていたので、今回念願が叶いました。

市内バスで上賀茂神社前まで。

鴨川を渡ってすぐです。貴船や鞍馬の山並みがすぐちかくまで迫っているってかんじですね。

朱色の綺麗な一の鳥居をくぐって境内へ。長い参道と芝生があり、青空が広く見えて清々しいです。

外幣殿があります。上皇の御幸や賀茂祭(葵祭)の一行が到着されるときに使用されます。

その先に二の鳥居があります。鳥居の横には式年遷宮の立て看板があります。

式年遷宮は有名なところで伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮や、前にブログで書いた諏訪大社の御柱祭も式年遷宮の中の祭事の一つでしたが、朝廷にとって重要な神社や、信仰が厚く財力がある神社でないと出来ない制度です。

上賀茂神社は 1036年、後一條天皇の御代に21年ごとの式年遷宮が定められました。

2015年(平成27年)に第42回式年遷宮が行われたばかりのようです。

もう一つ、上賀茂神社が重要な神社だったことを示す事例があります。斎王です。

未婚の皇女を神々のそばにお仕えさせる「斎王」という制度が古来よりありました。伊勢神宮に仕える斎王を「斎宮」、上賀茂神社に仕える斎王を「斎院」と呼び区別します。斎王がいたのはこの2つの神社のみで、皇室の氏神である伊勢神宮は当然として、いかに上賀茂神社が皇室や朝廷にとって重要だったかがわかります。

 

二の鳥居くぐって、目を引くのがこの細殿(拝殿)の前の立砂(たてずな)です。

盛砂とも言います。綺麗な三角錐▲ですね。「たつ」とは神さまのご出現に由来した言葉だそうです。

この立砂は神代の昔に上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷神が最初に降臨された、本殿の北西2km奥にある神山(こうやま)に因んだもので、この山は円錐形の美しい形で、一種の神籬であるようです。

鬼門や裏鬼門にお砂を撒いて清める「清めのお砂」の風習は、この立砂の信仰が起源です。

たしかに、この美しい三角錐は神々しさを感じます。数理図形や幾何図形とか、パターンや黄金比などの、完成されているシンプルなものって、綺麗ですよね。そこに、古代の人が神聖を見出したのも頷けます。

 

上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷神で、正式名称は賀茂別雷神社で、上賀茂神社というのは通称です。

言い伝えでは、賀茂玉依姫が賀茂川で身を清めていたときに、朱塗りの矢が飛んできて、それを持ち帰り床に飾って寝たところ矢の力によって御子を身籠った。その御子が元服したときに、「自分の父親だと思う神に盃を捧げよ」と言われて、「わたしの父は天津神だ」と答えて、雷鳴と共に天へ帰っていった。母親の玉依姫は悲しみ、息子に会いたいと願っていたところ御子が夢枕に現れて、お祭りをするように言い、そのご神託に従って祭りをしたところ御子が神山に神として降臨された。それが別雷大神だということです。

神がかった懐胎など、なんだか新約聖書に似ているような話ですね。

この時にやった神迎えのお祭りが現在でも行われている上賀茂神社の「葵祭」です。お祭りに用意した葵から葵祭の呼び名のほうが有名ですが、正式には「賀茂祭」です。

ちなみに、この別雷大神の母親である玉依姫とその父である賀茂建角身命が下鴨神社の御祭神です。下鴨神社も、正式名称は賀茂御祖神社といいます。

上賀茂神社の御祭神のおじいちゃんに当たる賀茂建角身命(かもたけつののみのもこと)は神武天皇の東征で先導し、大和の葛城山に宿ったそうです。ここでもでてくる葛城山・・・。

 

御手水は、名水である神山湧水です。御祭神が降臨された神山のくぐり水をくみ上げて使用しているそうで、飲料用水基準にも適合しているとの表記がありましたので、すこし飲んでみるのも、神山の良いパワーをもらえるかもしれません。

楼門の前には、岩上(がんじょう)という立ち入り禁止の聖域がありました。

賀茂祭(葵祭)には宮司さんがこの岩の上に蹲踞(ひざまづいて敬礼)して勅使と対面し、御祭文に対して神の御意思を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所だそうです。

神山の頂には降臨石があり、山麓には御阿札所を設けて厳粛な祭祀が執り行われてきました。この岩上はその信仰をこの本殿で再現したもののような印象を受けます。

※写真は立ち入り可能な通路からズームアップして撮っています。

古代祭祀の形が今に伝わる場所ですね。

 

岩上と楼門の間には、縁結びで有名な片岡社(片山御子神社)があります。

御祭神は玉依姫です。この上賀茂神社には、平安の時にあの紫式部が想いの成就を願って何度も参拝していたことでも有名です。

片岡社にちなんだ和歌も詠んでいます。

「ほととぎす 声まつほどは 片岡の

もりのしづくに 立ちやぬれまし」

(新古今和歌集 第三巻 夏歌)

“ホトトギス(将来の結婚相手の声)を待ちわびる間、片岡社の木々の中で立っていて、朝露にぬれましょう”

という和歌です。紫式部ほどキャリアで成功した女性でも、やっぱり結婚や恋愛の成就では悩んでいたのですね。

そういう乙女心は平安も平成も変わっていません。わたしもここでよーく縁を願っておきました。笑

本殿の御祭神は雷の神さまだし、恋愛成就や子宝祈願などはこの片岡社でお願いするのがしやすいかな、とおもいました。

 

朱塗りの楼門が美しいです。

ここをくぐって本殿へお参りしました。式年遷宮後ということで、社殿はとても綺麗です。

高倉殿です。一般の参拝者が上賀茂神社本殿や権殿を拝める場所です。ここから先は写真撮影は禁止されています。尚、ご祈祷をお願いすると本殿近くまで入れるようです。

本殿、権殿は国宝です。

 

中の社務所では、秋の期間限定の香り守がありました。とても可愛かったので、これと、貴族や武将の信仰も扱った賀茂別雷大神の強い雷パワーで厄を払ってもらおうと、父のための厄除守りを購入しました。別雷大神は雷の御神威で、あらゆる厄や災難を払ってくれる神さまです。

おみくじはヤタガラスが可愛いです。

お守りを購入してから、高倉殿の前でお守りにパワーをください!と念押しでお参りしておきました。

 

本殿の横には、正面に摂社で重文の新宮神社。御祭神が高龗神(たかおかみのかみ)で、心を豊かにし身体を守る神さまだと案内にありました。この御祭神は貴船神社の御祭神でもあります。

左奥は末社の山尾神社で御祭神は大山津美神で建築守護の神さまとありますが、山の神様として各地で祀られている大山祇神と表記は違いますが同一です。

上賀茂神社は境内にも外にも摂社末社が沢山あります。

本殿への参拝を終えて、岩上の横から林のほうへ小道を歩いていくと、小川のそばに末社の岩木神社があります。御祭神は住吉三神と言われるイザナギ神が川で禊をしたときに生まれた三柱なので、「交通安全の神様」と書かれていますが、水運や海運を司る神様には交通安全の面もありますが、この小川や自然を守るお社なんだろうな、と思いました。

川を覗きこむと、黒い渦巻貝のようなものが見えます。これ、カワニナというそうです。ちょうど近くにいらっしゃった近所のおじさまが教えてくださいました。

ホタルの幼虫のエサになるそうです。この清流なら、きっとホタルもいるんじゃないかな。上賀茂神社周辺には鎮守の森の緑があって、自然が守られているように感じました。

 

境内の林の中の小道から鳥居がみえ、少し小高くなっていて登ってみます。

二葉姫稲荷神社でした。

こちらはぐっと規模が小さな、地元の人が掃除当番をしているような、親しみやすい神社です。

不動明王や金毘羅大権現、八嶋龍神が祀られています。たしかに山の上で、香川の金毘羅さんに通じるものがあるのかも・・・?

“最近サルが出没しています”という注意書きに、このあたりの自然の豊かさを更に実感しました。笑

 

ここから周辺の家々が見渡せます。なんだか神さまに見守られてるってかんじがして良いですね~。

ここから京都の市内の有名どころを観光して、旅はファイナルに向かいます。

いましばらくお付き合いください。

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