先日、日光修験の山王院さんの春峰に参加してきました。
二日間ですが、とても濃い時間が過ごせて、あらためて修験道ってなにかということを考えました。
修行の内容は詳しくは説明できないので書きませんが、日光という場所について今までと違った見方ができたので、その点を書いていきたいとおもいます。
まず、一日目に日光近郊にある数々の行場やお堂をまわりました。
地元の方々の信仰の厚い今市追分地蔵尊をお参りしました。
この大きなお地蔵さまは、珍しく座ったお姿です。わたしたちが通常お地蔵さまといって想像するのは立っているお姿ですよね。錫杖のかわりに、密教の大日如来の法界定印を結んでいます。
昔洪水で日光から大きな岩が流れてきて、良い石だとしてノミを入れると岩から血が噴き出したそうです。
その跡は今でも背中に残っていて、ここまでだと前回の諏訪の万治の石仏と同じようなエピソードですよね。不思議な巨石には何か通じるものがあるのでしょうか。
その後日光に帰りたいと夜な夜な泣くので、日光へ向いて日光街道と例幣使街道との追い分けに安置したところ、静かになったという伝説があります。
地元の方々が一緒に法楽をして、その後四国のお遍路のお接待のように、美味しいお菓子や手作りの梅干しなどでもてなしてくださいました。
その心遣いがありがたかったことと、こういう地域に密着した信仰が今も残っていることにじーんと感動しました。
社務所の中には可愛い柴犬がいて、番をしていました。
日光の中に入ると、土日ということもあって沢山の観光客で賑わっていました。
そのメインストリートからちょっと入ったところに、日光修験の行場がいくつも残っていて、人気がなく静かな雰囲気です。今まで何度も日光には遊びに来ていましたが、自分が見て回っていた場所のすぐそばにこういう場所があったなんて・・・と、日光の奥深さの一面が見れた気がしました。
日光発祥の地である場所には、日光が山深い場所だったときに、この地を勝道上人が訪れて紫の雲をみたことから、ここにお堂を建立することに決めたという碑文が残っています。
勝道上人は日光開山した人で、だいたい空海さんと同時代の方です。
そのころの関東といったら、都を遠く離れてまだまだ未開の土地で、日光の山々を登るにも、地元の先住民族などの山岳信仰からの反対にあったりして、生易しいことじゃなかったとききました。
ほかにも、有名な金谷ホテルさんの一角にも、ひっそりと昔ながらの行場があります。
何回も前を通ったことがありますが、教えてもらわないと気が付きませんでした。
石の護摩壇のまえには、同じく石でできた鳥居があります。山伏の修験道は神仏習合のものですが、護摩壇のところにこんなかたちで鳥居があるのをわたしは見たことがなく、驚きました。
日光独特のもののようです。
その周囲の仏像は首が切られているものが多くありました。これは、明治での廃仏毀釈によるものらしいです。ただ神仏を別けるだけでなく、今まで信仰の対象であったものをこんなふうに破壊して貶めるなんて、どう考えても不自然だしゾッとします。
それがどんなものだとしても、誰かが大切に守ってきた信仰を、足蹴にして良いことなんてこの世のどこにもないはずだとおもいます。
これと同じような首を切られた仏像をタイのアユタヤでもみました。ミャンマーとの国境で戦いの場になったことで仏像が破壊されたそうですが、あそこはどちらも仏教国なのに人間の都合による解釈だとそんなことにもなってしまうのか、と驚いた記憶があります。
首のない胴体だけの仏像は痛々しいしちょっと怖くもありますが、切られた首は木と同化して穏やかなお顔をされていたので、少しホッとすると同時に、人間っていつまでもこんなことをやめられないんだなあとむなしい気持ちにもなりました。
明治政府による廃仏毀釈、神仏分離令は教科書にも載っているので有名ですが、修験道の禁止も行われたことはあまり知られてないようです。
日光の廃仏毀釈がここまで厳しかったのは、日光が徳川幕府と縁がある場所だからで、幕府を倒して政権をとった明治政府にはなにかと目障りだったことがあるようで、その監視の目があり修験道も厳しく廃止されてしまったそうです。
各地の修験が復活してからもなかなか日光の修験が再興できず、昭和のおわりまで時間がかかったのはこのことも理由の一つとしてあるみたいです。そして、山王院の修行では日光修験を再興された日光修験法頭に直接お会いしてお話をきけるので、ぜひ実際に参加して修験道について教えてもらう貴重な機会を得たほうが良いとおもいます。わたしも初めての参加で緊張していましたが、修験や山伏について知りたいことが沢山あって、そばでお話しを聞いているだけでとても勉強になりましたし、初心者丸出しの質問にも丁寧に答えてくださって感動しました。
一度絶えてしまった修験を、もう一度再興するのだって並大抵のことじゃないとおもいます。特に修験道は、口伝で伝わってきた部分も多く、その根底にあるのが山岳信仰ということを考えれば、どうしても地域独自のものや宗派で色々違ってくるので、一概にこうだという体系にもしづらい部分があります。そこが難しいところでもあり、魅力でもあって、その土地ごとの山に依るからこそ、そこに行って行うことに意味があるとも言えます。
その教えが今もまだ残っていること、それを現代のわたしたちに伝えてくださること、今わたしが修行に参加できること、そのひとつひとつが苦しい歴史のなかでいつ絶えて不可能になってもおかしくなかったのに、守られて伝えられて今に繋がっていることが本当に稀有なことだなあと、山形の出羽三山の羽黒修験でも思ったことですが、先達たちに感謝の気持ちでいっぱいになります。
そんなわけで、普段観光で行く日光とは違った一面をみることができました。
峰入りについても、次回修行の内容の説明ではなく、山伏について感じた事をベースに書いてみたいと思います。
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