比叡山 午前中は前編で書いた通り、東塔を見て回りました。
お昼は西塔からひとつ先のバス停で降りて、比叡山峰道レストランへ。
ここで近江牛カレー ¥1000をいただきました。
店の中は広くて、窓からは琵琶湖がよく見えました。
ちょうど店内に灰色の僧衣を着た僧侶の方が沢山いらしたのですが、言葉をきいてみると中国の僧侶の方の団体のようでした。
今でも各国から沢山の僧侶の方が比叡山に学びに来ているんだなあというのを目の当たりにしました。
ここから西塔まではバスを待っているより歩いたほうが速そうだったので、来た道を戻り、途中から山道に入って向かいました。
すると、比叡山の研修道場 居士林が右手に見えてきます。
ここでは事前に申し込みをすれば、写経や坐禅の体験から、日帰りから泊りでの本格的な修行までさせてもらえるようです。
高野山の沢山並んだ宿坊と比べると、泊まる場所などがしっかり山の中にあるというか、林の中なので、ちょっと雰囲気があって夜は少し怖そうですが、わたしも機会があればぜひ比叡山に泊りで修行させてもらいたいな~とおもいました。
東塔に比べて観光客なども少なく、静かな山の中で集中して坐禅など取り組めそうです。
その先に常行堂・法華堂(にない堂)があります。
同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。正面向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。
あの弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれています。
常行堂では、まさにこの日も常行三昧の修行中でした。
90日間ひたすら阿弥陀仏と念仏を唱えながら御本尊の阿弥陀如来の周りを歩き続ける修行です。昼夜問わず24時間行われるので常行というそうです。三昧とは、心を静めて、一つのことに集中し、乱さないことだそうです。
この修行中、少し休むときもあるそうですが、その時も立ったままだそうです。
壮絶ですね。比叡山といえば、去年話題になった千日回峰行で有名ですが、それ以外にも日々大変な修行をされている方々が沢山いるんだなとおもいました。
常行三昧は念仏三昧法とあいまって、浄土信仰にも大きな影響を与えました。浄土真宗を興した親鸞上人もここで念仏修行をしたのでしょう。石碑がありました。
ここで境内に鳥居と小さなお社がありました。箕淵弁財天さんで、比叡山にある三大弁財天の1つだそうです。
琵琶湖という みずうみが近いから、弁天さんの信仰があるのかな?男性ばかりの比叡山の中に女性の神さまが祀られているのもなんか潤いがあっていいなとおもいました。笑
こちらが、西塔でわたしが一番楽しみにしていた伝教大師 最澄さんの御廟がある浄土院です。
とても静かで穏やかな空気の場所です。案内板には比叡山中で最も清浄な聖域と書いてありました。
庭はとてもきれいに白い砂利で整えられています。10月だったので、落ち葉もちらほらあったのですが、作務衣を着た僧侶の方が丁寧に箒ではいていました。写真を撮っているとサッと脇に控えてくださって、お仕事中すみません~でもなんて心遣いがあるんだろう~とおもいました。
あとで看板を確認すると、
“大師の御遺骸を祀り、以来ご廟を守る僧侶を侍眞といい、一生山を降りない覚悟で昼夜を分かたず、厳しい戒律のもとに身心を清浄にして、生身の大師に仕えるように、今も霊前のお給仕に明け暮れしています。 またご廟前玉垣の辺りには、沙羅双樹と菩提樹が植えられ、極楽浄土の雰囲気がかもし出されています。 侍眞は、早暁より薄暮まで勤行と掃除勉学修行に励んで、12年間山を降りない籠山修行の内規に則って、生活しています。”
とあり、単なる掃除当番の方ではなく、一生を捧げる覚悟で最澄さんのおそばにいらっしゃる僧侶の方だったんですね。
浄土院で手を合わせて帰ろうとしたら、「どうぞ奥まで回ってください」と僧侶の方が教えてくださいました。
この浄土院の礎石づたいに回ると、後ろの御廟所の前まで行けます。
最澄さんのすごく近くまで行けます。これを知らずに、浄土院まで来て帰ってしまう人が多いようなので、ぜひ御廟前までいってお参りしたらいいとおもいます。
御廟は高野山の空海さんの御廟ととてもよく似ている形です。
もう一組の家族連れの方がいらっしゃったのですが、その後はしばらく御前にはわたし一人の空間でした。
秋の柔らかい日差しのなかで、最澄さんの人柄が感じられるような、澄んでていて優しい素晴らしい場所です。
比叡山に来れてよかったこと、山伏や密教が好きなこと、比叡山にきて日本の仏教の色んな宗派が比叡山OBによるものだと知ってびっくりしたこと、それから東塔での出会いの意味はなんだったのかを、最澄さんにきいてもらっているとおもって心の中で語りかけました。
とてもゆっくりできて、有難かったのですが、もっとここに沢山人がいてもいいのになあ、こんないいところなのになあともったいなくおもってしまいました。
比叡山の東塔はけっこう人手で賑わっていたのです。根本中堂は沢山の団体客もいました。
高野山の奥の院の御廟前は、御祭の時期だったのもありますが常に人がいました。比較に意味はないですが、ここだって最澄さんに一番近い場所なんだから、もっとみんなに知ってほしいし、みんな訪ねてきたらいいのにな~とおもってしまいました。
それからバスに乗って、横川へ。西塔地区からだとバスで10分です。歩くと山道で70分ちかくかかるようです。
横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。斜面にたいして高くなっている舞台造りで、全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴ですが、時間が押していてその角度からの写真は撮り忘れてしまいました。
朱色の綺麗な新しいお堂です。
お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
こちらは四季講堂 元三大師堂です。慈恵大師(元三大師)の住居跡と伝えられています。
現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地として石碑が立っていました。 ここでは、角大師のお姿を授与していて、魔除けの護符になっています。
わたしは地元のちかくに佐野厄除け大師があり、お正月に大変混んでいる中厄払いに行ったことがあったので、角大師には馴染みがあります。
引っ越した先の鬼門にもお札を貼って守ってもらっていました。
でも、最初見たときは“仏様っていうより悪魔っぽくない!?”と角大師のお姿にびっくりしました。笑
知らない人がお札を見たら、何を信仰してるのかとびっくりするとおもいます。
伝説によると、元三大師良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるそうです。
ここでもう3時近くになっていました。どうしても千日回峰行のお堂を見に行きたかったので、横川はここだけみて急いで東塔へ戻ります。
無動寺への山道入口には狛犬と鳥居があります。「大辯才天女」の扁額が掲げられています。弁財天が一緒に祀られているんですね。
大急ぎで下ってゆくと、ここは結構山の中の道で、千日回峰行でも通られる道なんだろうとおもいました。東塔の整備された道とは、雰囲気が変わって修験道の空気が色濃くあります。無動寺谷へはここから約700m坂を下ります。
御手水の奥には、今も霊水が湧いている閼伽井があります。修験道で水は閼伽(あか)とよび、身を清めたり神仏に供えたりと重要なものです。堂入りした行者は、一日一回午前2時、この閼伽井でお不動様に供える水を汲みます。
水が湧いているからか、ここにも弁天堂があります。回峰行を外護する白蛇として現れた弁財天を祀っているそうです。
明王堂です。ここでは千日回峰の行者は700日を終えると9日間の堂入り(明王堂参籠)を行います。
明王堂に籠もり、断食・断水・不眠・不臥(飲まず、食わず、眠らず、横にならず)で不動明王の真言を十万遍唱え、一日三座のお勤めを行うというものです。達成すると、その身のまま不動明王と一体となれるとされています。
ここを訪れた数日前に、2015年比叡山延暦寺の善住院住職である釜堀浩元氏がこの過酷な堂入りを達成されたとのニュースを見て、その偉業が行われた現場を感じてみたくて、こちらを訪れました。
千日回峰行とは、地球1周に相当する約4万キロの距離を、7年かけて通算1千日間歩くという荒行です。行を行う以上途中でやめる場合は、自ら命を断たなければならず、首つり用のひもと自刃用の短刀を常に携帯しているそうで、それほどまでの覚悟がないと出来ない修行なんですね…。
はじめは朝も明けぬうちから比叡山の山の中を260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝します。
堂入りは、5年目に行われます。ここで生身の不動明王となられた阿闍梨は、その後は自分のためではなく衆生のために行を続けます。
この後も、さらに1日60キロや80キロまで距離は伸びていきながら、2年修行は続きます。
この行者の像にあるように、千日回峰行者は蓮華の花の蕾をかたどった大きな笠をかぶって、白装束、草鞋履きで歩きます。
スピードからいって、歩くというより小走りくらいじゃないと、時間内に山内まわりきらないとおもいます。
その肉体的にも精神的にもとても過酷な修行を、いろんなものに恵まれた現代でも挑戦して、達成している方々がいるということが、ほんとうに凄いことだとおもいます。
冬、こたつに入ったら廊下のミカンを取りに行くのですら渋るわたしには、想像を絶します・・・。
同じ人間とは思えないくらい、毎日の修行によって意思の力が研ぎ澄まされて、成し遂げることができるんだろうなあ・・・。
明王堂からみた風景です。堂入りを達成した人は、どんな思いでこの風景を見たんでしょうか。まだ暗いうちだったから、景色は見えないかもしれないけれど、きっと堂入り前と後ではいろんなものが違って見えるのではないかとおもいました。
だって、堂入り前には生前葬のようなこともやるくらいなので、生きて達成して外の景色を見れるだけで凄いことですよね。
そうこうしていたら、16時過ぎになってしまい、また全速力で東塔まで戻ってバス停に向かいました。
無堂寺からだとケーブル坂本駅が近いのですが、1dayチケットを買ったので同じ八瀬ケーブルと叡山電鉄じゃないと使えないかな?とおもったので、バスで山頂のロープウェイへ向かおうとしました。
しかし、バス停の時刻表を確認していたのですが、行き先が違うと止まらないとか季節や曜日で違うのか、とにかく書いてある時間にはわたしの行きたいロープウェイ側へ向かうバスは、この時間にはもう無いようです!!
あああ・・・やってしまいました。
観光地でもあるし山なので、16時後からはぱったりバスはなくなってしまいます。
事前にしっかり帰りのバスの時刻と行き先は確認しておいたほうが良いですね。
そこから車道を全速力で駆け上がりました。この時間から上に上がる車も通らず、孤独ですが、ピンク色の夕焼けは綺麗でした。
息を切らしながら、山頂からのロープウェイに乗れたのは17時過ぎです。すっかりとっぷり日が暮れました。
比叡山はとても広いので、一日がかりでやっと回りきれるくらいです。横川など駆け足になってしまったので、次に行ったときにはもっと時間配分を考えて回りたいなあとおもいます。
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