上高地と槍ヶ岳開山播隆上人

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お遍路が終わって、財布の中身がすっからかんになったわたしは、夏3か月間北アルプスの山小屋でアルバイトをすることにしました。

 

それまで山登りは好きで関東近郊の山を色々登っていましたが、ついに憧れの北アルプスです。

松本から電車で新島々までゆき、そこからバスで上高地のバスターミナルへ行きます。

上高地は観光客などの姿で賑わっていて、梓川はきれいなブルーグリーンでした。


コース沿いに歩いていると、草むらで上下茶色の服を着たおじさんがなにかやってるな~と近寄ってみたら、


なんと猿でした!びっくり!!

 

上高地には穂高神社の奥宮があります。里にある真新しい木の色が綺麗な本殿は安曇野市にあり、ここ上高地に奥宮と明神池、そして標高3190mの奥穂高岳山頂に嶺宮があります。


明神橋を歩いて川をわたっていきます。

 

木の鳥居がみえてくると、その先に池をバックに拝所のある奥宮がみえてきます。

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ここでこれからはじまる山小屋での未知の生活が上手くいきますように、ケガなどなく無事に下山できますようにとお願いしました。

入場料を支払うと奥の明神池も散策することができます。

 

この日は曇りで、池の表面に薄っすらと霧が立ちこめていて、“明神池”の名にぴったりな神様が現れそうな雰囲気がありました。


この池での毎年十月八に行われる御船神事では、池に彩色した美しい小舟を浮かべて雅楽の演奏があるそうです。

そうして山の安全を祈願するとのことで、とても美しい神事のようでいつか見てみたいです。

こちらの御朱印をいただくと、持ち帰りのほうにはその神事の写真が印刷されているのでとても良い記念になります。
コースに戻って、槍ヶ岳を目指します。

槍ヶ岳は、その名のとおり天をつく槍のようなかたちの頂をもっていて、その荘厳な姿には国の内外をとわず多くの人の心を捉えています。

「日本アルプス」という名称を世に広めた、日本の近代登山の開拓者でもあるウェストンの名はとても有名で、上高地でも彼にちなんだお祭りが開かれたりしています。

しかし、その陰に隠れて槍ヶ岳を開山した播隆上人という人の名は、日本人の間でもこれまであまり知られていませんでした。

近年、新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」は播隆上人をモチーフにしたものだったので、この小説がきっかけとなって播隆上人という人の存在を知ったという人が増えているそうです。

わたしも今回、山小屋での勤務の合間にこの小説を読んでみました。

読み物として面白いとはおもいましたが、わたしはこの小説の播隆像にとても強い違和感を感じました。

小説の中では、彼が槍ヶ岳を開山する動機として、とても個人的な贖罪が理由になっているのですが、物語としてドラマチックするためだったり、読み手の個人に近い人間の業を持っている人物像は共感しやすいと考えて、このような描写になったのかもしれません。しかしわたしには違和感のほうが大きかったです。

 

前人未踏の槍ヶ岳を踏破し、さらに後続のために“善の鎖”という鉄の補助鎖をかけるという大仕事をするのに、個人的な動機はあまりに矮小すぎて、やっぱり彼の功績を考えるとすごく大きな“信念”のためにそれを為したと考えるほうが自然に思えました。

そういうわけで、さらに播隆上人について詳しく知りたいと思っていたところ、槍ヶ岳山荘グループの創始者家族である穂刈さんが書かれた播隆研究の本があると知り、こちらも系列の山小屋には談話室などにおいてあるので、読ませていただきました。

こちらはお寺などに残されている各資料などに詳しくあたった播隆上人の研究本で、原語そのままの部分など難しいところもありましたが、播隆上人という人を知ってほしいという著者の情熱が伝わるようなボリュームがあって、とても読み応えがありました。

 

この本を読んで、播隆上人の名前が広まったのはいいけれど、生涯を念仏行者として清貧で規律を守って生きた播隆上人を、小説のイメージが本当のように妻帯者だったり人を殺めたりしたことがある人物と思われるのは到底納得がいかないことだという研究者や播隆上人を信仰している方たちの声を知って、もっともだなとおもいました。

 

わたしは山登りも山岳信仰も好きでよく山登りに行きますが、登りながら考えていることは

“こんなに整備された山道でもこんなにキツイのなら、この道を整備してくれた人たちは重い荷物をもってどんなに大変だっただろう、

こんな山奥に山小屋を建てた人たちはどんなに工事が大変だったか、

最初にこの道なら歩けるぞと見つけた人の苦労はどれほどだっただろう。

その人たちみんなの恩恵の上に、わたしの楽しく安全な娯楽としての登山は成立しているのだなあ”

 

ということです。播隆上人が槍ヶ岳を上ったルートを探す活動などもあるようですが、もちろん今の上高地からの整備されたコースではなく、猟師や獣の通った道を辿り、命がけで岩に全身でとりついて、前人未踏の槍の穂先に辿りついたのです。


しかも、今のように最新のゴアテックスのレインコートもなければ登山靴もない、軽量化されたザックや山用の行動食もない時代です。足袋か草鞋に蓑などで登ったと考えると、装備の面でも今よりどれだけ苦労が多かったことか、今がどれだけ恵まれているかと思い知ります。

 

 

さらに播隆上人のすごいところは、自分ひとりが苦行として登頂できたらそれでいいや、ではなく、

どんな人でもこの素晴らしい山に登って拝めるようにと困難なコースの補助として鉄でできた“善の綱”をかけたところです。当時鉄も貴重なものだし、鉄を集めるのもその鉄鎖を標高3180mの頂上まで持って上がるのも並大抵のことではありません。今みたいにヘリコプターや飛行機があるわけではないので、一歩一歩人の手によるしかない。多くの人の喜捨と協力がなければできないことだし、そんな多くの人を動かすには人望がないできないですよね。

 

 生涯の一大事業として、槍ヶ岳に行者ではない普通の人々を引っ張り上げる鎖をつくることに執心した播隆上人という人に、わたしはとても深い感謝の気持ちと尊敬の念を抱きます。

そして、お山にはそれだけの人をひきつける“何か”があって、それは実際に自分の足で山を登らないとわからないもので、それはいつの時代も変わらないんだなあということをおもいました。

 

槍ヶ岳に向かう中腹には、播隆さんが籠って念仏行をしたという“播隆窟”があります。

 

  
槍ヶ岳山荘グループでは、毎年8月に播隆上人の功績をたたえて播隆祭を行っていて、播隆上人所縁の寺 玄向寺さんのご住職のお話しなどきけてとても盛り上がります。

 

そんな播隆上人を魅了した槍ヶ岳の姿です。

頂上である槍の穂先には、かけかえられて今も鉄の鎖があり、祠もあります。

  
この穂先を登るのはなかなか恐怖があり、神経を集中させ一挙手一投足しっかりと次の位置に置いていきます。
わたしは垂直の鉄梯子を登りながら、自分の恐怖心を抑えるために心の中で念仏を唱えました笑
それくらい、気の抜けない場所ですが、その分登り切ったときには360°ぐるりを美しい山並みが見渡せます。

 

松本駅前には播隆上人の像が立っています。

 ぜひ槍ヶ岳、松本に行った際は播隆上人に思いをはせてみてください。

 

 

 

 

 

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