5/12 (火) お遍路17日目
無事に5:30起床。
台風の影響の強風で、朝起きたら寝袋や髪の毛に木の葉がつきまくりでした。
でも、一晩無事に過ごせて良かったです。
東屋の近くの小川で洗顔して歯を磨いてから、出発。
昨日はあんなに怖く感じた山の中も、日が昇れば快調に歩けて、峠を越えて人里に下りてきました。
しかし、その後も風が強く、顎の下でヒモを結んでいても遍路笠が飛ばされました。
歩いていて暑くなったのでTシャツを脱ごうとサブバッグを地面に置いたら、突風でまさかの用水路にぽちゃしてびっくり。
なんとか引き上げましたが、一気にぐっしょり濡れてしまい、色々めんどくさいことに…。
しかも、最御崎寺でいただいたお大師さん根付の根付部分が切れてしまいショックでした。
でも、濡れたらマズイものは無事だったので、身代わりになってくださったと思って、これからは気を引き締めていこうとおもいました。
その後歩いているうちに雨がどんどん強くなってきて、民家の軒下をお借りしてレインコートを上下で着ました。
8:30に46番 浄瑠璃寺に到着。
わたしの父母は浄瑠璃寺は回っており、納経帳に墨字は書いてあったので、以前のものの上に御朱印と1200年記念スタンプを押していただこうと納経所に行きました。
そこで受付てくれた女性の方が、
「大変古い納経帳ですね。これはわたしの母の字です。その母も亡くなって13回忌になりますが…。久しぶりに母の字を見たので懐かしくなりましたよ」
と仰っていて、この納経帳はわたしの父母の納経帳で、20年の間があきましたがわたしが完成させるために遍路を回っていることをお話ししました。
人は亡くなる。
でも繋がりは残る。子や孫や誰かに受け継がれていくものはある。
わたしの家族にも、この寺の方の家族にも、どんな家族にも。
それがこうして縁がつながるんだなあと感慨深かったです。
ここで、他のお遍路さんに
「熱心に祈ってしまたね、お姉さんにきっと良いことがありますよ」と言われて、小夏をいただきました。
地獄と極楽を巡るゲートがあります。
八坂寺は修験のお寺で、山伏や熊野とも関係が深いようです。
色々お話しききたかったのですが、強風で立て看板が倒れたりしてお寺の方も忙しそうだったり、雲行きが怪しいのでわたしも先を急ぎました。
“一願地蔵”というひとつだけ願いごとが叶うお地蔵さまが納経所の前にいるのを、団体のお遍路さんがお参りしているのをみて知りました。
ここから雨がどんどん強くなり、こんな天候の中道路を歩いている人もほぼ居らず、トラックの水飛沫が大量にかかったり、対向車の人に”あらまあ”という顔で見られたりしながら、必死に歩いて49番 浄土寺へ。
土砂降りで、レインコートを着ていても全身濡れそぼり、写真を撮るにも指もスマホも濡れてしまい一苦労です。
ザックカバーをつけていてもザックにまで水がしみこみ、納経帳をビニールポーチに入れておいて良かったです。
それを納経所で出し入れするのもまた一苦労です。
お腹が空いてきましたが、まわりに飲食店もなく、立ち止まるのも寒いので、一気に今日の予定のお寺は回ってしまおうと13:30には51番 石手寺へ。
石手寺は一段と大きなお寺でしたが、山門から”戦争反対”や”9条を守れ”などの政治的スローガンが全面に押し出された看板などが沢山あり、ちょっと異様な雰囲気でした。
メッセージの中身自体には、わたしだって同意するところもあるのに、この居心地の悪さってなんだろう。
今ここでそのことを考えようと思ってないのに無理やり見せられることへの不快感なのか、でも世の中には見たり聞いたりしたくなくても、知らなきゃいけないこともあるし、言いづらくても声を大にして言わなきゃいけないこともあるしなぁ…。
この居心地の悪さの正体は何か、ずっと考えていますが、心がまえがないところにシリアスな問題を突きつけられたということではなく、先日の”ある宗派の熱心なおじさん”と通じるものが原因かな、と思いました。
つまり、相手とコミュニケートして対話から理解しあったりお互いの考えをディベートするという態度ではなくて、
一方的に”これが正しい!こう思わない奴はダメ‼︎”という主張の強さが押しつけられているようで、息がつまる強硬さを感じてしまうのです。
確かに正しい、良いことを言っている。
でも、色んな考え方があり色んな人がいるこの世界で、絶対的に完璧に正しい考えや主張というのはあるのだろうか?
自分が何かを信じたりポリシーを持ったりすることと、他人のそれを同じように尊重すること、自分の意見を正当に主張することと押しつけることの違いはなんなのか…。
自分が”良い”と思ってしていることに潜む”危うさ”に気がつける人間になりたいけれど、言うほどそれは簡単じゃない。
この石手寺の境内の中には鬼子母神社があり、子宝石で有名です。
わたしの母は昔ここで石をもらって帰り、不妊治療のすえにやっと出来た子どもはわたし一人と言われていたにもかかわらず、弟を妊娠しました。
その後妹も産まれているので、妊娠はタイミングや環境の変化もあるかもしれませんが、わたしの母は石手寺の鬼子母神社のおかげもあると信じていて、転居によって四国を遠く離れて御礼参りが出来ていなかったことを気にしていました。
いただいてきた石はずっと保管してあったので、この機会にわたしが代わって御礼参りをしました。
本来は新たに石を用意しなければいけないのですが、その作法を現地に行ってから知ったので用意がなく、篤く感謝を伝えて石をお返しました。
また境内では洞穴を回ることもでき、これがなかなかルートが長くて怖かったです。
早く温泉に入りたい一心で歩いて、道後温泉本館の近くの「エコ道後」というゲストハウスにチェックインしました。
ドミトリー女子部屋一泊¥2500で、その日は女子部屋はわたししかおらず、実質1人部屋でした。
雨に濡れた服を着替えて、レインコートなど干してようやくおにぎりを食べました。
まだ14:30頃でしたが、この雨で体力消耗して、今からまた雨の中松山観光する気力もなく、料金もすごく安いので、明日もう一泊して松山をまわることに決めました。
横になって休んでから、16時頃道後温泉へ。
「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの1つとなった建物は古くて、赤いギヤマンの振鷺閣では朝6時、正午、夕6時に刻太鼓が打ち鳴らされます。
すごく風情があるのですが、写真で見るより以外と小さく、周りに高い建物や看板が多いのがもったいないです。
料金で幾つかサービスのプランが分かれていて、わたしは¥840の神の湯2階へ。
チケット購入後まず神の湯2階席にいき、浴衣を受け取ります。
お風呂には石鹸シャンプーなどなく持ち込みで、広い一層の浴室です。
ゆっくり浸かって身体をよく温めました。
壁に鷺の絵が書いてあり、道後温泉の由来である白鷺が傷を癒したという伝説にちなんでいます。
外の装飾にも鷺モチーフがあり可愛いです。
風呂上がりは浴衣で神の湯2階で砥部焼きのお茶とお菓子を頂き、ゆっくりしてから3階の夏目漱石の部屋を見学しにいきました。
若い頃の夏目漱石は端正な平行二重でイケメン。
その後は本館前から始まるアーケードでお土産を購入し、坊っちゃん時計や坊っちゃん列車をみていたら
岩屋寺を一緒にみたJuanから彼も今道後にいるとメッセージが来たので、「おいでん家」で夕食を一緒に食べました。
Juanの明日のルートをきき、宿の予約をしてあげたらご馳走してくれました。ありがたい!
観光地にいると、ちょっと1人が淋しいかんじがしたので、おしゃべりしながらの夕食が楽しかったです。
朱印300✖︎6 1800
宿 2500
お土産1297➕1080
コンビニ 440
温泉840
¥7517
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