神長官守矢資料館を出ると、その奥に大きな木と祠が建っています。
案内板には「神長官邸のみさく神境内社叢」と書いてあります。
ここで出てきた“みさく神”は、ミシャグジ神、ミシャクジ様と呼ばれる諏訪の古代の神さまです。
聞きなれないその響きが、なんとも謎めかしい。わたしはなにか呪術めいた響きのようにかんじて、ちょっと怖そうだなとおもっていたのですが、字を当てると「御石神」や「御社宮司」、「御左口神」とも表記されていて、漢字にすると意味がとりやすいですよね。
民俗学の柳田国男は、賽の神=境界の神であり、大和民族に対する先住民の信仰と考察していたようです。
調べてみると、ミシャグジのほかにシャクチ、サクチ、サグチ、サクジン、オサクジン、オシャグチ、オミシャグチ、サゴジンなど多様な音で呼称されているようです。古代の神ということで、語源的にはアイヌの音に通じるという説もあります。
わたしは諏訪で初めてこの神様の名前をきいたので、諏訪の土着の信仰だとおもっていたのですが、東日本の広域にわたって信仰はあったようです。でもその名前が聞きなれないのがあらわしているように、ミシャグジ神にまつわる社殿や伝承は年々消滅しているそうで、こうして残っているのは貴重でもあり、やはり諏訪にとって意味が深い神さまさからだろうとおもいます。
諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれていたそうで、だからなのか祠の前には卵のお供え物がありました。
また、先ほどの資料館の中で、ミシャグジ神に関するものもありました。
それが“サナギ鈴(オオ)”というミシャグジ神の鈴です。
ミシャグジ神の祭事がどのようであったのか、もう大祝家も守矢家もない今はわかりませんが、前の記事で紹介した戸谷学先生の本では、大祝家の名前の謎解きにからめて、現代からみるとなかなかショッキングな考察をされているのでぜひ気になる方は読んでみてください。
祠の裏には大祝家の墓所があります。
わたしは、この日本神話や大和朝廷の勢力が入る以前の太古の信仰であるミシャグジ信仰と、御頭祭などにみられる縄文的な信仰と、古事記などにある建御名方命信仰と、大和朝廷の思惑で建設された下社の信仰が幾重にも重なって、混ざり合っている諏訪の信仰はとても面白い!ということを強く感じました。
ここからあるいて10分くらいのところに、資料館をデザインした建築家 藤森照信さんの作品がみられます。
空飛ぶ家
近くに梯子がおいてありましたが、まさか梯子をかけて出入りするんですかね?とても怖そうです笑
それからこのツリーハウス。ムーミンの世界の生き物が住んでいそうな可愛いおうちです。
そのすぐ近くにも古式っぽい祠があります。これもミシャクジ神の祠でしょうか。
このあたりの神社や祠は、それがたとえどんなに小さくて家族用のものでも、絶対に四隅に柱を建てるんだ!!という強いこだわりがかんじられます。これでもか!というくらい必ず柱があり、その意志の強さには何か理由があるんだろうと思わずにはいられません。
長野は道祖神も多いんですよね。安曇野が有名ですが、ここでもひとつ見かけました。手を取り合っていて素敵な道祖神です。
本宮へ向かう道の途中に、北斗神社があります。寿命の神さまということで気になりましたが、この長く高い石段の数を見て、下から一礼で通り過ぎてしまいました。社殿は見えないので、どんな神社がたっているのか気になります。
北斗の拳が好きな友人はここでとてもテンションが上がっていました笑
資料館から出て20分くらいで、上社 本宮に到着しました。
大きな欅があります。古くは贄、御狩りの獲物を木の枝に掛けて祈願したことから、「贄掛けの欅」と呼ばれたそうです。
名前が怖い笑
御柱祭で上社のみはしらにつける、メドデコが展示されていました。足場として紐がかけてあるとはいえ、ただの丸太。
これにあれだけの人が鈴なりになるなんてすごいです。
長い木の廊下を進みます。
ここから四脚門と、その奥に高い場所に囲われた石があるのがみえます。
この門は、かつては祭神の子孫であり神を顕現する者である大祝家の者だけが最上階の硯石と呼ばれる磐座に登っていくための門だそうです。
硯石は凹み部分に常に水を湛えていることからその名前がきているとのことです。
大祝家の一族が現人神や神降ろしをする一族だったという伝承からも、この磐座が古代の諏訪の信仰のとても重要な聖域だったことがわかります。
この硯石の裏に、ご神体である守屋山があります。
ちょっと位置関係を確認しましょう。
この案内図にあるように、わたしは東参道から入って、布橋という木でできた長い廊下を歩きながら参拝しました。
古代諏訪において最も重要な磐座であった硯石を四脚門からみて、その奥のご神体山を拝みます。
諏訪神社は古代の信仰形態がよく残っていて、神さまを現す御神宝や常駐するための社殿、つまり本殿ができる前の信仰である、柱や森や山自体がご神体という形です。社殿は、それらを拝むための拝殿しかなく、本殿はありません。
これは神社という建築が成立する以前の、神籬や磐座の信仰から家や倉庫の建築を神のいる場所にしようという神社に変化する移行期の神社にみられる形態です。有名なところでは、奈良の大神(おおみわ)神社ですね。ここはご神体である山に登拝することができます。大神神社については、以前詳しく記事に書きましたので、良かったら読んで下さい。
ともかく、重要なのはご神体の山が古くから信仰されてきたということで、拝殿は後の時代からの後付けということです。
ここで地図をみてみると、おかしなことに、ご神体山とその前にある硯石、それらを拝むための四脚門は参道の途中で横をむいて歩く途中にあり、正式な参拝所と拝殿はご神体山に横を向いて、神居という名前の森に向かって造られています。
どう考えても、森や林より山のほうが、神さまのいるところとして重要そうなのは素人でも思いつきますし、なにより硯石と神官専用の四脚門という古代の信仰がそちらを重要視していたという名残があるにもかかわらずです。
これによく似たかたちを、見たことがないでしょうか。
島根にある、出雲大社です。こちらも現在ある本殿の正面(南)にはなぜか神座が置かれず、正面をずらして右側(西)に大国主命の神座があります。だから、このことを知っている参拝者は、拝殿で本殿に正面で拝んだあとに、左手にまわって筑紫社の裏あたりから神座に正面を向く場所で拝みます。
また、出雲大社関係の現存建築物で最も古いとされているのは、出雲大社に奉仕した神職である北島國造家の神域との通用門で、これも四脚門です。
出雲大社の神座の位置の謎も諸説あるようです。わざわざ正面からずらすというのは、やっぱりなにか意味がありそうですよね。この諏訪大社本宮も同じニオイがします。
わたしはこの境内案内図を見たときに、すごく不自然な建築配置だなあとかんじました。この位置関係には、建築を建てた人物、建てた時代のなんらかの意図が介在するようにおもえます。
これが林に面した拝殿です。重要文化財の建築です。
拝殿の前の庭は斎庭として囲われていて一般の人は入れないので、この前の参拝所から拝みます。
そして、その拝殿の右手側に、元々のご神体である守屋山を背にした勅願殿があります。
案内板には、「勅願とは天皇の祈祷という意味である(が)当社の場合この建物はご祈祷を行う場所である。
建物の配置は諏訪大神の御神霊が宿る守屋山(ご神体山)に向かい建てられ古図には祈祷所と記されている。幣拝殿が国家安泰並公事の祈祷を執行する場所であるのに対して勅願殿は個人私事の祈祷を行う場所である」
とあります。
諏訪で、現人神として天皇のような役目をしていた大祝家、その神事を執り行ってきた守矢家、これら太古の信仰が残っている場所に勅願殿という名前がついていたり、この古い信仰と重なり合うように朝廷の推してきた信仰が重なっている多重構造が、ここからも読み取れます。
境内の中には、天流水舎というどんな晴天の日でも屋根から雫が落ちるという諏訪の七不思議の一つに数えられる場所があります。雨乞いにご利益があるそうです。
建御名方命と武甕槌命が国譲りをかけてとったのが相撲の始まりといわれ、境内には土俵と江戸時代の力士である雷電為右衛門の像があります。
彼は大相撲史上最強の力士で、身長190m、体重170kgというから巨人ですよね。雷電の出身は信濃国大石村(現在の東御市)で、諏訪との直接の関係はありませんが、長野出身ということで相撲に縁のある神社に像があるようです。
諏訪大社では今も十五夜祭神事相撲神事として相撲を奉納しています。
ただ、不思議なのは、その相撲の神話では建御名方命は負けている方なんですよね。
しかし勝者である武甕槌命を祀る鹿島神宮では、今は子ども相撲しか残っていません。
どっちかというと鹿島アントラーズでサッカーのイメージのほうが強いくらいです。
さらに、全国に諏訪神社は約25,000社もあるのに対し、鹿島神社は約600社と数も圧倒的に諏訪神社のほうが多いのです。
神話での勝者と、後世にも残っている信仰が逆転しています。この現象はなんなんでしょう。
どちらも戦いの神として武運にご利益がありますが、それなら勝者である武甕槌命を祀る鹿島神社のほうがご利益ありそうなものなのに・・・。
諏訪信仰をしていた武将といえば、武田信玄が有名です。
こんな本もあるようなので今後読んでみたいとおもいます。
謎の多い諏訪信仰、まだまだ研究の余地がありそうです!!
本宮からあるいて7分くらいのところに、山佐屋というお蕎麦のお店があります。
くるみの蕎麦つゆが美味しかったです。
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とても面白い!
ありがとうございます。
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やまおかさん
コメントありがとうございます!
お返事遅くなってしまってすみません~
お褒めの言葉ありがとうございます。こんな更新留まってしまっているブログですが、
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