最澄さんの比叡山と予期せぬ出会い 秋の京都旅1日目 前編

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お遍路の前に高野山に行ったときに、1200年祭りだったのもありますがすごい人で、今でもこれだけ人々に慕われる空海さんってすごいなあと改めて感じました。

また、高野山をトレッキングしてみて、ここを修行の場にと選んだ空海さんの気持ちが少しでもわかったような気がしました。

 

高野山に行ってから、いつか比叡山にも行ってみたいと思っていました。

歴史の教科書でも、「高野山に真言宗を開いた空海、比叡山に天台宗を開いた最澄」というふうに並べて載っていて、この組み合わせをテストのために暗記した思い出があります。

 

そんな空海さんとも所縁のある最澄さん、彼が開いた比叡山はどういうお山なのか知りたいなとおもい、昨年の十月末に行ってきました。

 

京都の友人宅に泊めてもらって、まずは京阪電鉄で比叡山1dayチケットを購入。2100円で、京阪電車から叡山電鉄、ケーブルカー、ロープウェイ、比叡山山内のシャトルバスも利用できます。

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二両くらいの短い可愛い電車で八瀬比叡山山口へ。

 

駅からちょっと歩いたところに、ケーブルカーの駅があります。

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すごい急斜面をぐいぐい登っていきます。らくちんですね~。登山ではこの10分か15分のところを、4~5時間かけて登ってるんだろうなあとおもうと、あまりに楽すぎて申し訳ない気持にすらなります。

 

ケーブルカーから今度はロープウェイに乗り継ぎます。

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ここでも十分見晴らしがよく、かわらけ投げのポイントになっていました。

 

ロープウェイから町が見下ろせます。こっちはまだ京都側かな?

それとも滋賀側なんでしょうか?土地勘がないのでよくわかりませんでした。

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高層ビルなどがなく空が広くて、山々の合間にぎゅっと固まって町をつくっているかんじがなんとも可愛くて、人間って小さいなあ、小さいけど頑張っているなあという気持になって、お山にいらっしゃる神仏はこんなふうにわたしたちを見ていてくれてるのかな、と想像しました。

 

ロープウェイから降りて、少し歩くと開けた場所に出て、そこがバス停、駐車場になります。

ロープウェイで来たほかの乗客の皆さんは、ここでバスを待っている方がほとんどでした。

ここから進行方向左手には琵琶湖が見えます。たぶん、わたしは生まれて初めてみた琵琶湖なので、おおっと感動しました。

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わたしはここから歩いて10分ほどで比叡山の山頂に行けるということをネットで見ていたので、ぜひ行ってみたいとおもい駐車場を通り過ぎて一人で細い道を登っていきました。

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迷うこともなくすぐ山頂があるのですが、まずその登りの道にも案内板など出ていないし、比叡山の山頂にも小さく「大比叡848m」という看板があるだけなので、山頂に行きたいと事前に思って調べてくる人しかわからないとおもいます。

 

山頂は辺りは木々が生い茂っていて展望はありません。三角点を示す石がちょこんとあるだけです。

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ただ、空だけはぽっかりあいていて、青空が見えました。

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それからさっきのバス停まで引き返し、バスが来るまでに時間があったので山道を歩いて東塔のほうへ向かいました。

舗装されていない山道は普段の山登りの感じに似ていて、“お山を歩いている~”という気分が出てきてわくわくしました。

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この道を進んでいるときに、進行方向から外国人の女性の方が一人で歩いてきて、どうやら迷っているようだったので、彼女と一緒に東塔へ向かいました。

 

見晴らしの良いところに小さな石仏があります。可愛いですね。

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比叡山は大きく3つのブロックに分かれています。東塔、西塔、横川の3つです。その間は結構距離があるので、東塔から西塔までは徒歩20分、西塔から横川までは徒歩70分とかかるので、山内を巡るマイクロバスをうまく利用するのがよいと思います。

高野山もバスは走っていますが、一旦登ってしまえばお寺もお店も宿坊も密集しているので、高野山内は奥まで歩きでも余裕でまわれます。それに比べると、比叡山は広いなあ、回るのが少し大変だなあとおもいました。

また、初めてきた日本人のわたしでもバスのことやら道などで案内板が無く頭をひねりながら地図とにらめっこしていたので、外国の方ならなおさらわかりづらいだろうなあと思いました。

比叡山まで時間と手間とお金をかけて登ってくる人は、観光目的というより信仰の気持ちがあってくる方が多いとおもうので、ぜひもうちょっとでもこの辺が改善されて、多くの方が回りやすいようになれば良いなあと勝手ながらおもいました。

 

山内で出会った女性は、わたしよりもいくらか年上で、インド系米国人の方でした。

彼女は日蓮上人について知りたくて、日蓮さんが流された佐渡を回った後、比叡山に来たそうです。米国に旦那さんがいて、今回が一人旅だそうです。

彼女のこの旅での移動距離と行動力にもびっくりしましたが、とても篤い信仰心を持っているんだなあということに驚きました。

それと同時に、わたしは内心少しだけぎくりとしました。

 

この女性との出会いもどう書こうか、書くまいか悩んだのですが、比叡山で一番印象に残ったのは彼女との出会いなので、上手に伝えられるか不安な部分もありますが、正直に自分の心の動きを書きたいとおもいます。

 

 

わたしは神仏を信じていますが、特定の“宗派”には属さず、特定の“宗教”も信仰していません。

ただそれは特定の宗派・宗教を否定するものではなく、神社仏閣だけでなく教会やモスクも好きです。

 

組織や集団になるとすべての団体が腐敗するとも思っていません。長い歴史の中で組織化しなければ生き残れなかった時代もあっただろうし、束になることで出来ることも増えるし、そういうなかに素晴らしい奉仕の精神で活動されている方がいるのも知っています。

ただ、わたしはなんとなく一人や親しい人とお山や神社仏閣etcに行くのが好きなので、それでいいと今は思っています。

また山伏の修行も、“ここのお山をみっちり登りたい”という場所に出会うまで、節操なくいろんなお山や修行体験をするのでいいかな、とおもっています。

人によっては、わたしのこういうスタンスは、“良いとこどり”と思ったり、宗教に熱心な人ほど“間違っている”と思われるのかもしれません。

 

わたしは以前、このブログでも書きましたが、歩き遍路の旅の途中に、何回か宗教の勧誘を受けています。

そして、そのうちの一回は、車という閉鎖空間の中で今思い返すと結構怖い思いをしました。

わたしは真言宗ではないけど空海さんが好きだったのでお遍路をしていたのですが(ミーハー)、そのことについても“おかしい、間違っている”と強い口調で攻撃されて、本当にショックでした。ミーハーでもいいじゃない、あなたになんか関係ある!?と怒りを返してしまい、この時のことは今思い返しても自己嫌悪になります。

 

わたしが経験したそうした少し押しの強めな勧誘では、日蓮上人の名前が出ていたので、それから良く知らないのに苦手意識ができてしまって、ずっと避けてきたので、わたしはここで彼女の口から日蓮上人の名前がでたときにぎくりとしたのでした。

 

でも、彼女は明るくフレンドリーな人で、押しつけがましくなく、日蓮上人に詳しくないわたしに、彼の生涯や民衆のために戦ったことなどを、山中で詳しく教えてくれました。

日本人の仏教徒の話を、アメリカ人の彼女から英語で教えてもらう日本人のわたし・・・っていう状況も面白かったです。

 

そうこう話している間に東塔につきました。

阿弥陀堂と法華総持院東塔です。

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青空に朱塗りの寺院が映えます。

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最澄さんは日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされたそうですが、その中心の役割をするのがこの東塔なんだそうです。

わたしはなんでも手を合わせてまわっていますが、彼女は彼女の信仰から日蓮上人とそれに関するもの以外には同じ仏教の寺院でも手を合わせないようで、仏教のなかにもそういうことあるのか~とそのことにも詳しくなかったわたしは驚きました。

でも、だからといって彼女はわたしが拝むのをやめさせるようなこともしません。

そう、なにを拝もうが拝まなかろうが、それはその人の自由だからいいんです。他人があれこれ口を出すべきじゃないんです。信仰はその人の心の中のものなのです。わたしも彼女の信仰を尊重しました。

 

それから鐘楼をつきました。これは世界平和の鐘らしいです。壮大ですね。

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紅葉が綺麗で、たくさんの人が写真撮って鐘をならしていました。

 

それから、道に沿って最澄さんの人生や、その他比叡山で修行し、各宗派を興した高僧の紹介のパネルが並んでいます。

最澄んも空海さんも唐で仏教を学んだ留学僧でした。最澄さんは朝廷のお墨付きの真面目で熱心なエリート、空海さんは山野をかけて修行し、10年の留学期間を2年で勝手に帰ってくるほどの破天荒な天才。帰国後二人の間に交流はありましたが、その後は進む道は分かれて、空海さんは自分のカリスマ的な魅力で高野山を開き、最澄さんは比叡山で優秀な門弟を沢山輩出してきたのです。

天台宗の総本山である比叡山延暦寺は、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮、時宗の開祖一遍など、日本仏教界の名僧が学び、修行してきた場所なのです。そうそうたるメンツですよね。比叡山OB凄すぎます。

そうしたパネルをみながら進んでいくと、経典などを学ぶ大講堂へ到着しました。御本尊は大日如来で、その脇には法然、親鸞、日蓮などの木彫りの等身大の像が安置されています。

 

御本尊が大日如来だったことで、彼女はスルーしそうだったので、慌てて「日蓮上人の像があるよ!」と呼びにいきました。

そうすると、とても驚いて喜んでくれて、その木像が手にしている巻物は日蓮上人が比叡山でとても成績優秀だったことを示すものだと解説してくれました。

 

そして、わたしが御朱印をもらっているのを興味深そうに眺めていました。

わたしの英語でうまく説明できたかはわかりませんが、インドのサンスクリット語で聖なる仏を表している、ということはわかってもらえたようです。

それもそのはず、彼女はインド系の米国人で、彼女の母親はヒンドゥー教徒だったそうで、梵字には見覚えがあると言っていました。彼女も以前は同じくヒンドゥー教徒だったそうですが、日蓮上人の教えに出会って仏教徒になったそうです。

 

わたしは密教が山伏とも近くて好きなので、天台宗も真言宗もそういった山に入って修行するところが好きだと説明しました。

それから、密教の護摩行も火が悪いものを清めるというインドのゴーマからきているということを言いました。

今度は日本人の私が、インドにルーツのある彼女に仏教のインド由来の儀式を説明することになりました。これも面白いですね。

話の流れで、空海さんのことを話しました。わたしは日蓮上人にあれだけ詳しい彼女だから、日本でとても有名な空海さんのこともきっと知っているだろうとおもって尋ねました。すると、彼女は空海さんも真言宗も、今いる比叡山の天台宗のことも、ほとんど知らないし興味がなかったようでした。

わたしはこのことにとても驚きました。

 

もちろん、彼女の信仰は彼女のものだから、それでいいのです。

ただ、日本人の私が仏教について知ろうとおもったとき、インドで釈迦が興したものが大陸経由で日本に入り、奈良仏教、密教、鎌倉仏教ときて、様々な宗派が派生してきた歴史を学びます。

昔は檀家制度があったから、みんなどこかしらの寺の檀家だったり、今でも本人は意識してなかったとしても葬式などでは家族の宗派で行ったりします。

そうでなくて、自分でどこかの宗派に属そうと思った場合、その宗派を選ぶときには、ほかの宗派の教えや実践などと吟味して、ここがいいな!と思って信仰するとおもうのです。つまり、知識があって広い視野から選択できる、ということですね。

もちろん生まれた国で宗教が決まったり、親やまわりもみんなその宗教で、それが普通という国もあります。日本だって、見ようによったら神道と仏教の併用が当たり前みたいなとこもあります。だからといってそれが間違っているとか、おかしいということはないし、選択の余地がないからといって、信仰に差異もないとおもいます。

 

ただ、このときわたしのこころに何かひっかかりがありました。誤解してほしくないのですが、それは日蓮上人に対するものではないです。

うまく表現できるか難しいのですが、彼女がたまたま最初に出会った仏教がそれだっただけで、ほかの仏教をなにも見ないうちから、それだけを最上のものだと決めてしまうことは、なんだかもったいないなという気持ちになってしまったのです。

たとえば、「空海さんや最澄さんも知ってるけど、日蓮上人が自分に一番しっくりくる!」ともし彼女が言ったなら、たぶんわたしはこうは思わなかったとおもいます。でも、彼女が出会ったのが日蓮上人の教えだったからこそ彼女は仏教徒になったのかもしれないので、これは言っても栓無いことかもしれません。

わたしが空海さんも最澄さんも好きだから、ちょっとさびしい気持になったのかも。

彼女のおかげで、知らなかった日蓮上人の凄さもわかったので、この出会いはすごく良いきっかけになりました。

だからといって、同じように彼女に空海さんや最澄さんのことも知ってもらえたらと思うのは、それはやっぱりわたしのエゴが出てきたということなのかもしれないとおもいました。

 

自分がいろんな神仏を好きだから、ついそれが一番いいことのように思えているけれど、それを他の人にもそう思ってもらおうとすることで、無意識のうちに誰かに自分の意見の押しつけになってしまうことがある。

それは、わたしがイヤだな~とおもったような宗教の勧誘のやり方と同じようなことを相手にしていることになる。自分は善意だと思い込んでいるぶんやっかいで、それを批判する目を自分の中にもっていないと、どんどん増長して、自分と違う考えの人に対して、下に見るような、不寛容が生まれてしまう。

世界の各地で宗教や宗派の違いによって起こる争いをニュースで見るたびに、”どうして他人の信仰をほっとかないんだろう?それがたとえ間違っていたとしても、自分が良いと思うものを信じていればそれでいいじゃん。信仰なんて内面のことだから他人には関係ないのに、干渉しようとする精神ってなんなんだろう”とおもっていました。

でも、それは言うほど簡単じゃなくて、自分は絶対そんなことしないとおもっていても、心のどこかにその芽は潜んでいて、自分はいつも正しくてそんなことしないとおもっている人こそ危ないのかもしれないと気付かされました。

彼女との予期せぬ出会いによって、とても考えさせられる比叡山めぐりとなりました。

 

それから根本中堂へ。ここが比叡山延暦寺の総本堂です。

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中は改修工事中でしたがお参りはできました。最澄さんが延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元であり、その後信長の比叡山焼き討ちなど災害に遭いましたが、復興の度に規模も大きくなっていったそうです。現在のものは徳川家光公の命で竣工したものです。

 

参拝者が拝むところの外陣は板の間ですが、御本尊の薬師如来がいらっしゃる台座のしたは、内陣が石畳で3mほど深くなっています。

わたしは最初、工事中だから床を取り除いてこういうスタイルなのかと勘違いしていたのですが、これは天台造や中堂造と呼ばれる様式で、天台宗の古い寺院ではこういった大陸からの様式になっているところがあるようです。

こちらにいた僧侶の方にお話をきくと、参拝者とご本尊の間に谷がある、その低くなっているところに天台宗の僧侶たちは座って読経をあげ、参拝者とご本尊を繋げる手助けをする。参拝者とご本尊の目の高さが一緒なのは、本当はわたしたちはみんな仏と一緒だから。でも僧侶の方々は低い低いところに身を置いて、仏と同じところまで行けるように修行している。

 

というようなことでした。石畳の堂内はひんやりとしていそうで、冬はさぞ冷気が辛いことだろうとおもいます。

仏さまはわたしたちには優しいお顔に見えますが、きっと自分自身を仏のために使おうと研ぎ澄まそうとしている僧侶の方々には、また別の顔があるのかもしれないなとおもいました。自分自身を仏の道に捧げて、夏の暑いときも冬の寒い時も変わらずお勤めを続ける僧侶の人ってすごいなあ、有難いなあ、まだ自分自分と自分が優先なわたしには絶対出来ないことだなとおもいました。

 

御本尊の前には、1200年間明かりが絶えない“不滅の法灯”が灯っています。これは最澄さんが自ら薬師如来を彫って、「明らけく、後の仏の御世までも、光伝えよ法の灯しび」と、心を込められて点灯された尊火だそうです。

毎朝夕に燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が注ぎ足し続けていて、気を抜くと燃料が断たれて火が消えてしまうことから「油断大敵」の言葉が生まれたそうです。

 

この根本中堂の中は、いつまででもいたくなるような、離れがたい場所でした。また改修工事が終わったら、ぜひゆっくりとお参りしたいとおもいます。

ここで御朱印をいただいていたら、彼女がわたしに御朱印袋を買ってプレゼントしてくれました。

ここまで、拙い英語ながら頑張って解説したり、日蓮上人関連のものがあったら、彼女に教えていたことについて、何度もありがとうと言ってくれました。

わたしも、彼女と出会ったことで、お遍路のときにできた苦手意識がだいぶ克服されて、こうやって外国の人にまで凄いと思わせる日蓮さんのパワーを知って、ここで彼女と出会ったことや考えたことにはきっと意味があるなとおもいました。

 

そのあと山内のバスに乗って、わたしは西塔へ、彼女は横川にある日蓮上人が修行したという定光院へ向かうということで、バスの中で別れました。
いつか彼女はこの旅で知ったことをもとに、日蓮さんの本を書きたいと言っていました。その夢が叶うといいなあとおもいます。
 

 

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