万治の石仏 諏訪大社完結!下社 春宮編


秋宮からつづいて春宮へ。約1㎞で、15分ほどでつきます。

本来なら秋宮の参道をもどり、春宮大門鳥居から参道を通っていくのが正式だとおもいますが、秋宮から来迎寺のほうに中山道からまわるルートをとりました。

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来迎寺は浄土宗知恩院派の寺で、天文10年(1541)栄海上人の開山です。開基は諏訪大社大祝金刺氏の一族で諏訪右衛門尉とのことです。下社の大祝(おおほうり)の一族がいつからいたのかは不明ですが、この来迎寺や慈雲寺など諏訪大社の周辺のお寺の創設に、諏訪大社 下社のゆかりの人々がそれぞれ開基となっているのが興味深いです。

 

来迎寺は“女性の出世”に御利益があるそうです。

というのも、ここにある銕焼地蔵尊(かなやきさま)にまつわる伝説があるからです。

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昔下諏訪の湯屋別当に「かね」という娘が奉公していて、たいそう信心深く毎日お地蔵さまに自分の弁当の一部をお供えしていたが、仲間の妬みによる告げ口で別当の妻から焼け火箸で額を殴られてしまった。お地蔵様の元で泣いていると、お地蔵さまの額から血が流れ、自分の痛みは消え美しい顔になっていた。この「かなやきさま」が評判を呼んで、都からきていた大江雅致が「かね」を養女に望んで、「かね」は書道歌道を学んで宮中にゆき、そこで和泉守橘道定と結婚し、和泉式部となった。

 

ということで、和泉式部ゆかりの寺として少女の和泉式部像と供養塔が境内にあります。

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和泉式部といえば、恋に奔放で何度も結婚したり浮気したりして、そのたび燃え上がる恋心を詠み傑作を残したこと有名ですが、わたしが特に好きなのが次の一首。

 

『黒髪の乱れも知らずうち付せばまづかきやりし人ぞ恋しき』(後拾遺集 恋 和泉式部)

“  黒髪が乱れるのもかまわず横になっていると、この髪を手でかきあげた人が恋しく思われます”

なんとも濃密な、大人の男女の色恋の空気が艶めかしく伝わってくる和歌で、はじめてみたときにこんなことまで言っていいのかとドキッとしました。

 

そこから進むと、“竜の口”という行場があります。

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小さな滝とお堂と不動明王が祀ってあるので、ここで山伏や行者が修行をおこなったんだとおもいます。名前の通り、竜の口から水が出ています。

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ここから下道に下る階段があり、降りて春宮の鳥居の前に行きます。

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春宮の神楽殿はこんなかんじです。秋宮と比べると高さがないですね。

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後ろには左右に広がる片拝殿と、その前に四方に建てる御柱があります。

御柱祭で山から落としてくる柱がこれです。表側は綺麗な面ですが、後ろにまわると落とされて引きずられた跡が残っています。

神楽殿の真後ろには、秋宮と同じく二重楼門の拝殿があります。正面欄間に竜の彫刻があります。

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見事ですね。

そして両脇に片拝殿がつき、その後ろに左右御宝殿がある建築配置も秋宮と一緒です。

さらにその後ろ、御神坐とも相殿ともいわれる神域にあるのが、ご神木である杉の木です。秋宮はイチイでした。

古代の原始信仰で、平素山上におられると考えられた神々をこの御神木にお招きをして、その神さまにお供えする御神宝を納めお祀りしていたのが御宝殿です。

これが後の時代の神社になると、神さまの依代として巨石や巨木ではなく常駐していただくためのお宮の形になって、今日の神社建築という宗教建築のかたちが成立します。

重要なのは、仏教のお寺やキリスト教の教会のように、信徒が集い中に入るための公共施設としての役割をもつ宗教建築ではなく、神社の場合、本殿はあくまで神さまのための居住空間であり、何重にも囲いがあって人は近づけない、人が中に入ることのない宗教建築であるという点です。

わたしはこの点こそ神社、神道の“聖なるもの”の捉え方、表現の方法が現れている重要なポイントだとおもっていて、とても興味深いです。

おなじ“聖域”を現すのに、お寺や教会のように内部を荘厳に装飾して人が中に入り、それを見て圧倒されることで表現するのか、逆にまったく囲って見せないことで想像力をふくらませたり、そこに何か大切なものが“ある”ことだけを知らせて隠すことで“尊さ”を表現するのか。

 

もちろんどちらが良いということではなく、同じような聖なるものを表現するのに、こんなにも発露の方向が違うことがとても面白いとおもいます。わたしは宗教建築が好きなので、どれもそれぞれ良さがありますし、教会や寺やモスクと一言で言っても時代や風土によってまた装飾や建築は変わってきます。その土地や民族と密接にかかわる宗教建築をみると、違いが面白いなあと思いますし、それと同時にどんな場所でも信仰の気持ちをもって人が作ったものは、真心が込められていて美しいということは共通しているなあとおもいます。なので、わたしは旅行先で宗教建築を見るのがとても大好きです。

 

さて、諏訪大社に話を戻すと、“春宮”、“秋宮”という名前の通り、春宮には春~初夏に御神霊が鎮座し、、秋宮には夏から初春まで鎮座します。

詳しく言うと、御神霊の依代が毎年2月~7月は春宮の御宝殿に鎮座し、8月1日にお舟祭という遷座祭が行われて御神輿にのって秋宮に移ります。もちろん御神霊の依代である御神輿は一般の御神輿のような社殿の形ではなく、箱状のものに人の目に触れないように覆いがかぶさっているようです。それがどんなものでどんな儀式が行われて遷座されるのかは、囲いがあって見ることはできません。遷座の行列は最短距離ではなく古来からの道を通って秋宮へ進みます。このとき行列の最後に大きな舟に翁媼二体の人形を乗せ数百人の氏子がその舟を曳くのでお舟祭りというそうです。

8月~1月は秋宮に御神霊が鎮座し、2月1日に秋宮から春宮にまた御神霊を遷座します(春の遷座祭)。華やかなお舟祭りにくらべて、こちらは行列だけのお祭りなので「ひっそり祭り」とも呼ばれているそうです。

 

季節で御神霊が遷座する神社って、この諏訪大社下社以外にあるのでしょうか?

もしご存じの方がいらっしゃったら教えてほしいです。伊勢神宮の式年遷宮は20年毎ですし、今この儀式が残っている神社はとても珍しいとおもいます。

 

春宮は全体的にひっそりとしていて、秋宮に比べて規模も少し小さいような気がします。

境内に二股にわかれているが根元で一つになっている「縁結びの杉」があります。

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夫婦円満、恋愛成就に御利益があるそうです。

さらに境内左手には、斜面が林になっていて緑が深いです。そこに、石でできた不思議な六角形の囲いがあります。

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古代の祭祀跡?にしては石の囲いは新しそうだし、なにか儀式でもやる場所なのかな?

 

と気になったので社務所で尋ねたところ、これがなにか正確なことは不明だそうです笑。

ただ、昔御神木かなにかがあったところじゃないかと推測しているとのことでした。

その脇には古そうな石段があります。ここを登っていくと先ほどの中山道につながり、さらに進むと下社の御柱祭の会場、木落し坂に行くことができます。

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さて、わたしはこれで諏訪大社 上社の前宮と本宮、下社の秋宮と春宮の四社まわったことになります。

御朱印をすべていただいていたので、それを社務所で見せると、四社参拝記念の「しおり」と記念品をいただけました。これが常時そうなのかこのときたまたまなのかはわかりませんが、良い記念になりました。おみくじも引きました。

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さらに、諏訪大社では社務所で「鹿食免鹿食箸」がいただけます。これは、たぶん日本中でも諏訪大社でしかもらえないものだとおもいます。

「鹿食免(かじきめん)」は諏訪の勘文、諏訪のはらえと呼ばれ

「業盡有情 雖放不生 故宿人身 同証佛果」という

“前世の因縁で宿業の尽きた生き物は 放ってやっても長くは生きられない定めにある

したがって人間の身に入って死んでこそ 人と同化して成仏することができる”

という、要するに鹿食ってOKだよ!肉食してもOKだよ!!という免罪符です。

超人間中心主義的な発想で、さらに神社の神符なのに“成仏”という言葉を使っていたりととってもカオスなかんじですが、殺生を罪悪として狩猟を忌み嫌う時代にも、お諏訪さまからこの神符を授かったものは生きるために鹿肉を食べることを許されたそうです。

長野は海がないし山だらけなので、これは今ほど交通の便が優れておらず産業も発達していない時代では、動物を食べることは文字どおり死活問題だったんだろうと想像できます。

日本各地で神獣とされている鹿を何十頭と殺して祀る御頭祭を行う諏訪大社ならではというか、強い後ろ盾ですよね。こうした諏訪信仰により、諏訪の人々は長く厳しい冬を乗り越えてきたそうです。

「鹿食箸(かじきばし)」はそのお箸verです。

 

春宮を出て、西側を流れる砥川の川中に浮嶋があります。どんなに大水がきても流れず、下社の不思議の一つになっています。小さな鳥居があって、浮島社という清め祓いの神さまを祀っています。

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木陰が涼しくとても気持ちの良い場所です。地元の方がのんびり日陰で過ごされていました。夏越しの祓えはここで行われます。それだけ、空気が澄んでいていつまでもいたくなるような場所です。

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「医王渡橋」という名前の橋を渡って北にすすむと、

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「よろず治まる 万治の石仏」があります。

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田んぼの中からこのモアイのような石仏が現れると、!?と衝撃がはしります。なんともインパクト大の姿をしています。

顔に対して体が異様に大きいですよね。横から見るとさらによくわかります。

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かつて御柱祭をみにきて偶然この石仏と出会った画家の岡本太郎が、絶賛して世に広めたことから、有名になりました。

石仏の由来は、明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。(!?)驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立されたとのことです。石から血がでるなんてホラーですよね。石仏として長いこと安置されているところをみると、この対処でよかったようです笑。

石には「南無阿弥陀仏 万治三年 十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」と刻まれ、胸には右から太陽、雷、雲、磐座、月など大宇宙を現すものが彫られていて、右端には逆マン字が彫られています。

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これは大日如来を教主とする密教の曼陀羅で、大日如来と阿弥陀如来を一体の仏像に共存させた「同体異仏」の作例になります。「同体異仏」を信仰していた密教集団の弾誓上人を祖とする浄土宗の一派のものと考えられており、石仏の手は浄土宗の弥陀印を結んでいます。

 

この石仏、参り方にやり方があります。

1.正面で一礼し、「よろず治まりますように」と心で念じる

2.石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する

3.正面に戻り、「よろず治めました」と唱えてから一礼する

とのことです。人がいるとちょっと照れるかもしれませんが、ぜひ正式なやりかたでお参りしてみてくださいね。

ここにお土産物屋さんがあり、万治の石仏をデザインしたバンダナが可愛かったのでわたしは赤を購入しました。

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春宮までもどり、今度は正式な参道を通って駅に向かいます。まっすぐに伸びる道路は大門通りといいます。約800mあり、かつては春宮専用の道路で、下社の大祝金刺一族をはじめ多くの武将たちが流鏑馬を競った馬場でした。

春宮のすぐ前に下馬橋が残っています。

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ここより下乗下馬、どんな偉い身分の高い人も、駕籠や馬から降りて身を清めるところです。神域との境ということですね。御手洗川に橋がかけられていて、その形から太鼓橋とも呼ばれます。

 

道のわきには「力石」というここらの若者が力比べをしたという石がありました。

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わたしもチャレンジしましたが、とても重くて持ち上がらなかったです。

 

昔の参道の入り口であった、常夜灯と春宮大門鳥居をくぐったら、下諏訪駅はもうすぐそこです。

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下諏訪駅の改札の万治の石仏を名残惜しくみながら、松本へ戻りました。

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これで諏訪大社・御柱祭のレポートは完結です!!多分に熱が入りすぎて、どんどん文章が長くなってしまいました。古代の信仰や縄文のパワー、四社とも違った魅力あふれる社と温泉と石仏・・・何度訪れても面白い諏訪、また遊びにいきたいとおもいます。

 

次回は栃木 日光修験の感想など書きたいとおもいます。よかったらまたお付き合いください。

 

 

 

 

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