悲しみは言葉にならない

[`yahoo` not found]

祖父の葬儀が終わり、色んな手続きがあって、“人が一人亡くなるって色々大変なんだな~”とバタバタして浸るまもなく、今度は犬の介護がはじまりました。

 

ここ半年くらい認知症の症状がでていて、同じところをぐるぐる回ったり、後退できないので変な隙間に入っては身動きできずに助けを呼んだり、というのがあったのですが、だんだん夜鳴きもひどくなってしまいました。

 

あまりに夜鳴きがひどいので、ご近所の迷惑になっていることもあり動物病院に相談しました。

暖かい昼間に寝て、夜徘徊するので、頑張って昼間ムリヤリ起こしてみたり、抗不安剤のような薬を処方してもらって、夜は飲ませるようにしました。

そのときに、足腰の筋力は衰えているけど、心臓はまだまだ元気そうと言われて、まだまだ生きそうだな~とおもっていました。

 

そしてちょうど祖父の葬儀から5日後に、急に立てなくなってしましました。

庭で飼っていたこともあり、散歩にいくのもしんどそうになってからは自由に庭をうろうろしていて、足腰は震えながらも立てていたのに、急にです。

 

それまで祖父のほうに手がかかっていたので、そっちがラクになるまできっと頑張っていたんだね~と家族で話していました。

 

夜は室内に入れて、日当たりが良い午前中は外に出して日向ぼっこをしたり、後ろ足をタオルで支えて少し散歩をしたりとしていましたが、歩けなくなって最初の2,3日は無駄吠えがすごかったです。

どんなに撫ででも落ち着かず、顔を見ていると恐慌しているのがわかります。パニックというか、なぜ自分が立てないのか、歩けないのかわからないので、不安なんですね。

 

無理に立とうとしてもがきます。

夜は薬を飲ませますが、昼間は頑張って宥めるしかありません。

わたしのおなかの上に乗せて抱きしめたり、カゴの中にいれてゆらゆらゆらしてあやしたり、それでもわけもわからず吠えます。

薬を飲ませても、しばらくはおとなしくなりますが、また深夜に吠え出すことも多くありました。

 

わたしはまだ大丈夫でしたが、母のほうがまいってしまって、寝られず体調も崩すし、安楽死も考えると言われました。

実はこの少し前に、犬の夜鳴きと祖父の介護で母が胃潰瘍になっており、治ったばかりだったので、これ以上夜鳴きが酷くなり続くようならば、自分は面倒見れないかもしれないということでした。

 

老犬はうちにきて17年になります。わたしが中学1年生になったときに両親が保護団体から引き取った、雑種の女の子です。

中型犬の17歳というと、人間でいう98歳くらいなので、だいぶお婆ちゃんです。ここまで病気もせずに生きたら大往生だ、寿命みたいなもんじゃないか、と父も言いました。

 

わたしは祖父の介護のためにこの1年実家に戻っていました。祖父が生きているならば、介護が大変なので来年も残ろうか迷っていたのですが、祖父が亡くなったことにより、来年からの身の振り方を考えねばならなくなっていました。そのときに悩ましかったのはこの老犬のことです。

 

わたしが実家にいるときは、わたしが夜中まで起きて犬の相手をするのも大丈夫ですが、これからわたしが家を出てしまったら、自分たちも老後に入る両親に犬の世話を頼むことになるのに、「安楽死はさせないで」というのは、あまりに無責任かなと思ってしまいました。実際に世話をする人間が大変すぎると言っているからです。

 

しかし、17年間一緒に生きて生きて、もう十分長生きしたとはいえ、人間側の都合や勝手で安楽死を選ぶのは、やっぱりイヤです。死は自然にくるもので、操作したくない。もし、彼女が病気で苦しんでいたり、痛みがあったりするなら話は別です。長く続く痛みから解放してあげるために安楽死を選ぶことは愛情だとおもいます。

ただ、うちの犬の場合は、立てないことによるストレスで自分の足を噛んだり、うごめいたり、もがくときにこすって口の周りが切れたりはありましたが、その他の時は穏やかにいる時間もあったので、安楽死を選ぶことに抵抗がありました。

 

また、わたしが必死にあの手この手で犬を宥めているときに、横から「やっぱり(安楽死)も考えるしかないよ」などと言われると、“今必死に世話しているのはわたしなんだから、邪魔しないでよ!”と苛立ってしまい、言い争いにもなりました。

 

このときわたしが願っていたのは、「わたしがこの家にいる間に、お祖父ちゃんも犬も看取りたいと思っていた。まだ近くにいるであろうお祖父ちゃん、どうか犬も一緒に苦しまないように連れて行ってあげてください。」ということでした。

 

わたしの都合で、わたしに良いように、早く死んでほしいと設置したばかりの祖父の仏壇に祈ったのは、とても自分勝手な願いだったとおもいます。

でも、わたしはどうしても安楽死させたくなくて、でも両親に負担をかけるのも可哀そうで、犬は自然に老衰してほしいけどなるべく早めにお願いしますと、あの世のことはあの世の人と仏様に頼るしかない、という心境でした。

 

そして、薬を飲ませても夜鳴きが収まらないので、もう一度病院に相談すると、薬を飲ませる量を増やしてくれることになりました。それから、老犬は鼻がつまるのでたびたび顔を拭いてしっかり鼻の孔まで掃除してあげること、そして夜鳴きが酷いのにもピークがあるから、そろそろ落ち着いてきますよ、との言葉に、母と一緒にすごく安堵しました。

 

その言葉とおりに、それから昼間の無駄吠えは減りました。夜中に吠えるのも、赤ちゃんの夜泣きと一緒で、何か要求があるときになりました。おしっこがしたい、お腹がすいた、のどがかわいた、寝返りうちたい、など。

おしっこはシートを敷いていたのでそこでしてもいいのに、律儀に外でしたいらしく、足を動かして立ちたそうなときに外に連れていくと、そこでするようになりました。こちら側も介護に慣れてきて、犬の要求がわかるようになってくると、要求が満たされればまた大人しく横になってくれます。赤ちゃんの世話と一緒かな、とおもいました。

 

静かになったとき、犬に「あなたはもうお婆ちゃんなんだよ。だから立てなくなっちゃったんだよ。でも怖がらなくていいからね、そばにいるよ。大好きだよ。ありがとうね」と話しかけると、恐慌したときは理解していなかったかもしれませんが、じっと耳を傾けてる様子があって、それからはだいぶ吠えも少なくなりラクになりました。

 

夜鳴き、無駄吠えがひどくて悩んでインターネットで検索していたとき、「老犬 夜鳴き」と打つとサジェスト機能で「殺したい」という単語がでてきました。でも、その気持ちはよくわかります。何をしても吠えられると、どうしていいかわからないし、やれることやっているのに責められているような気持になります。自分もまともに眠れないから、イライラしてとても辛いですよね。

でも、その酷い夜鳴きにはピークがあります。人間と違うから理解するのに時間がかかるかもしれませんが、犬もパニックが収まれば状況を理解して落ち着きますし、そのために抗不安剤などの薬を動物病院で処方してもらうのもとても効果があります。

また、うちの犬の場合は白内障で目もあまり見えておらず、最後のほうは鼻もきかず耳も遠くなっていたようなので、首のうらにわたしの鼻を当てて、ゆっくりした呼吸で温かい鼻息をふきかけてやると、そこにわたしがいる、くっついていて温かい呼吸がある、とわかると安心したようで、犬の呼吸もゆっくりになり、寝つきがよかったです。

犬の夜鳴きで悩まれている方はぜひ試してみてください。

 

そして、うちの場合は1年前から野良猫の子猫を犬が世話していて、居ついたのですが、その子がとても犬に愛情があって、介護を手伝ってくれていました。

犬を家に入れたときも、猫はずっと警戒心が強くてうちには入りたがらなかったのに、犬のそばにいるために入ってきました。

この二匹の様子にはほんとに癒されました。猫はとても賢く、「舐めてあげてね」というとぺろぺろ犬を舐めて綺麗にしてくれたんです。夜中も定期的に様子を見に来ていて、わたしたちはこれを「夜間訪問看護」と呼んでいました。笑

犬はとても純粋で、ひたむきに飼い主が好きで、愛情深くて健気で、かわいいです。わたしはずっと犬派だったのですが、この子のおかげで猫の良さもわかりました。猫は気まぐれでプライドが高いですが、そこが魅力的ですし、哲学的な思慮深い目をしています。

それから、あまりにも犬への愛情が深いので、この猫はなにか高級霊でも中に入っているのかな?とおもうくらいでした。

インターネットで注文した後ろ足用の歩行補助を使って少し散歩をしました。昔は散歩の度にぴょんぴょん跳ねていたのですが、もうしっぽをあげる元気もないです。でも、散歩に行くと左右に少しだけ嬉しそうにしっぽが揺れるのです。

ただ歩くだけなのになにがそんなに楽しいのかとおもいますが、飼い主といく散歩は犬にとってはとても大切なものなんですね。思い出すと健気で泣けます。

休み休み歩き、最後は抱っこして景色を見せてやりながら帰りました。

 

そして、立てなくなってからちょうど一週間後、穏やかに逝きました。

その日は暖かくて日向ぼっこに外に出すと、いつも気まぐれで少しいた後ふらふらとどこかにいく猫が、ずっとついていました。「買い物にいってくるから、看護よろしくね」と声をかけて行っていたのですが、数時間後に帰宅してもずっとついていたようです。やっぱりこっちの言うことがわかっているのか、あの猫只者じゃないよな~。なんておもっていました。

もしかしたら、わかっていたのかもしれないですね。

その後、午後になってから犬を家に入れて、わたしはいつもなら二階に上がって自分の作業などするのですが、その日はどうも気分が乗らずにそのまま犬と一緒の部屋でのんびり本をよんだり、たまに犬を撫でたり声をかけたりして過ごしていました。

これが虫の知らせってやつなのかもしれません。そして夜、あれだけ食欲があったのに口を開けなくなった犬に、注射器で流動食とポカリを水で薄めたものを食べさせました。ごはんは飲み込めなくなってきたので、無理にあげなくても良かったかもしれません。でも水割りポカリはごくごく飲んでいました。

その後、最後に足が動いたので、トイレかなとおもって外に出すとおしっこをしました。律儀なやつだな~、部屋でしても気にしなくていいのに、と言って部屋に戻すと、顔つきがかわっていて、呼吸も急に口をあけてゆっくりしたものに変わっていました。

人間も、この呼吸になったら危ないというサインときいて、みんなで一息一息注視しているなかで、眠るように最後の息をつきました。

 

わたしは、その前まで呼吸していたので、そのちょっとまえにはわたしの腕の中でおしっこもしたし、生きていたのでなんだか信じられなくて、ほんとに息止まってる?と疑っちゃったのですが、それが最後でした。一呼吸前まで生きていたのに、同じ態勢でなにも変わらないように見えるのに、もう魂は離れていてだんだん冷たくなってくる、というのが本当に不思議におもえました。

 

ただ、みんなで見守るなかで看取れたので、それはすごくホッとしました。たとえばお風呂入っていたり、夜中寝ていたりで誰も気づかないうちに冷たくなっていたのではなくて、本当に最後の一息まで見守れたからです。

 

でも、こうなると現金なもので、はやく連れて行ってもらうように頼んでいたにもかかわらず、悲しくて仕方がなかったです。

お祖父ちゃんもさぞ戸惑ったでしょう笑。

 

わたしは、四国を歩き遍路したり、神社仏閣めぐりが好きだったり、スピリチュアルに関心があったので、心の準備はできているとおもっていました。お祖父ちゃんの死も最近で、泣いたけれども心は穏やかで、冷静だったからです。

 

でも、犬の死は、思っていたよりもっと辛かったです。

わたしは今まで、なにか悲しいときの表現で「胸が痛む」というのは、単なる比喩だと思っていました。

でも違いました。本当に悲しいとき、実際に胸の真ん中がギューッと引き絞られるように痛みます。びっくりしました。

犬のことを考えて、思い出しているのは脳なのに、胸が痛くなるんだ、不思議だなあ、身体と心ってつながっているんだと冷静におもってしまいました。

 

動物は人間と違って、恨みにおもうとかそういう感情がほぼないので(相当ひどいことをしないかぎり)、すぐに成仏できるから、あんまり悲しみすぎるとそれが彼らの足かせになって、飼い主を心配してあの世にいけない、ときいたので、むやみに悲しむのはダメだ、泣いてばかりじゃ心配しちゃう、と頭ではわかっていました。

でも、実際は朝から晩まで、実家には犬との思い出がありすぎて、ご飯を食べながらでも寝ていたスペースが目に入ると“もういない”ということが悲しすぎて涙がでてくるし、犬小屋で寒そうに一匹で寝ている猫をみても涙がでます。

猫は犬が死んでから、翌日火葬まで同じ場所に寝せていましたがまったく寄り付きませんでした。

やっぱり、何かが違う、もう死んでいるということがちゃんとわかるんですね。

 

家の近所を歩いても、どこもかしこも犬と一緒に歩いた散歩コースなので、思い出しては泣けてきます。

悲しいと頭でおもう前に、涙が自動的にでてくるようになってしまいました。

 

これは自分でも自分がこんな状態になるなんてとびっくりしました。だって、わたしの希望どおりになって、きっとお祖父ちゃんが犬もわたしたち家族も苦しまないように、良いタイミングで仏様のところに連れて行ってくれたんだとわかっているのに、勝手ですよね。

夜鳴きや無駄吠えがおさまってきたので、もう少し介護したかったと思ってしまいました。

 

17年間一緒にいた存在が、もうこの世にはいない、撫でたり笑ったり抱きしめたりできないとおもうと、すごい喪失感でした。

「ありがとうね、17年間楽しかったね。また逢おうね。動物になってまたうちに来てもいいし、でも当分犬は飼わないとおもうから他の家の子になってもいいけど、逢いにきてね。待てるならわたしの将来の子どもになって生まれてきてもいいよ」と最後に犬に伝えました。

今はまだ悲しすぎて、大往生だし寿命だし穏やかな死だったのになにがそんなに悲しいのか自分でも説明できなくて、ああしてあげればよかった、もっとこうしてあげればよかったと後悔ばかりが浮かびます。でもそれが本当に犬のしてほしいことだったかはわからないので、後悔も独りよがりかもしれないですね。犬は飼い主が大好きだから、こんなふうにめそめそ後悔してるのを、なんでー!?やめてよー!!って思っているかもしれません。

 

同じように犬を亡くした人が、そのうち楽しかったことばかり思い出すようになるよ、と言ってくれてきっと時間が解決してくれるとおもいます。しっかり3日ほどは泣き暮らしたので、少しすっきりしました。あまりに悲しみすぎたら彼らが成仏できないと抑えすぎず、悲しむときはしっかり悲しむのもいいのかもしれません。

 

当分新しい犬は飼う気にはなれないでしょう。何匹も看取っている人が知り合いにいて、ちゃんと命日をぜんぶ覚えていて、この悲しみを何度も乗り越えているなんて、とても強いなと尊敬します。でも、犬が元気なときからうちにいた猫が、家族の癒しになっています。

あの世でみている犬と祖父に、しっかりしなさいよ~と心配かかけないよう、立ち直っていきたいとおもいます。

そして、わたしの懸案事項がすべて無くなったので、いよいよ介護を言い訳せずにわたしも自分の人生をまた生き始めなくてはならなくなりました。祖父と犬が、頑張りなさいよ!という意味を込めて、わたしにそれをわからせるために自分たちの最後を見せて教えてくれたのかもともおもいます。

このお正月は静かに喪に服して、春になったら動き出さなくちゃ。介護が続いたこの1年で学んだことをしっかり生かさなくてはいけませんね。新しいことや場所にいくことは怖い気持もあるけど、きっと楽しいことも待っているはず。

「すっかりこの家も寂しくなった」という母には、犬が残してくれた猫がいます。わたしは好きなところにいって好きなことができる、そういう自由がある、恵まれていることに感謝して、また頑張ろうとおもいます。

 

 

 

 

 

ランキングに参加しています。良かったら応援お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路・巡礼へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村 アウトドアブログ 女性登山者・山ガールへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 密教・修験道へ
[`yahoo` not found]

コメントを残す

CAPTCHA