新年明けましておめでとうございます。
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山登りや神社仏閣、山伏の話以外に、リアルではなかなか吐けない本音を垂れ流しているブログですが、本年も見守ってもらえたら幸いです。
さて、昨年は祖父と愛犬を年末に相次いで看取りまして、まだ一応喪中になります。でも気持ち的には喪中は旧年までってかんじで切り替わっているんですけど、四十九日が今週末ということで、それまでは神社には行けないんですね。
それで、今年のお正月はいつもの地元の神社に初詣行けないね~と家族で話していたのですが、栃木では年末日光山輪王寺のCMが流れていて、“あ、お寺なら初詣できるじゃん”ということで、行ってきました。
大晦日の夜、家族で紅白歌合戦を途中から車の中で聴きながら、22:40には日光へ到着。
輪王寺は世界遺産の日光東照宮のすぐ近くなので、道路が混むかとおもって早めに行ったのですが、すいすいでした。
有料駐車場は23時になると混んでいましたが、向かい側の無料駐車場はまだ空きがあり、そんなに早くなくても良かったかも~と車の中で紅白を観ながら時間をつぶしました。
23:15には日光 輪王寺へ。
比叡山に「延暦寺」という建物はなく、山の中の沢山の寺院を統合して「比叡山 延暦寺」と呼びます。
同じく日光山 輪王寺も日光の山上山下の全体を統合しての総称でした。
明治の神仏分離で東照宮は独立した神社となり、本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して輪王寺と呼びます。(輪王寺HPより)
日光修験の記事でも紹介しましたが、日光を開山したのは勝道上人です。
わたしは奥日光地区の中善寺の立木観音をみて、こんな変わった魅力のある観音様を彫ったという勝道上人とはどんな人なんだろう?とがぜん興味が湧きました。
そんな勝道上人を題材にした漫画が、日光山輪王寺の協力のもとWEB連載で集英社のグランドジャンプに掲載されています。
劇画タッチの画です。蝦夷の人々との交流なども描かれています。5話には、中善寺の立木観音も描かれていますので読んでみてください。
さて、今回は、輪王寺の山内地区、本堂前で行われる山伏の護摩焚きを観にいきました。
四方を囲った結界が張ってあり、前方に檀が組まれ不動明王が安置され、中央には護摩壇が組まれています。山伏というと白装束、また薄い黄色の鈴懸のイメージですが、輪王寺さんは黒い鈴懸なんですね。クールなかんじでかっこいいです。
23:45からお護摩が始まります。
法螺貝を吹きながら、山伏が入場します。
宝剣の儀式。
昔の修験者は実際に帯刀して修行していたそうです。登山でも、山の中の道なき道を進むとき、“藪漕ぎ”をします。これは腰以上の高さの群落は歩きにくく、かなりの力でかき分けるか、背丈以上のササやススキは上部で絡まっていることも多いので、刈り取りながら進みます。
今のような登山道が整備されていない時代の山伏は、帯刀した刀で山野を切り開いていたのでしょう。その刀を般若の知恵として捉えて、聖なるものとして扱った儀式です。
宝斧(ほうふ)の儀
斧も深い山での修行に必要な道具ですが、山伏たち修験者はこれら自分たちの身の回りの山の道具を単に道具としてだけではなく、自身を助けてくれる法具と考えたようです。剣や斧など鉄製のものや金属、鏡などに神聖を感じるのは、出雲などの遺跡からも発掘されているとおりで、古代の人々にとって共通の感覚みたいですね。有名なイソップ童話「金の斧銀の斧」の物語もありますが、落としたものが“斧”というのは世界共通で刃物や鉄製具に何か不思議な力を感じるのかもしれません。
ちなみに、映画化された「WOODJOB! ウッジョブ!」と原作の「神去りなあなあ日常」には魅力的なキャラクターのヨキという人物がいます。
彼の名前は斧の古い呼び方である「ヨキ」からきています。斧の側面に四本筋を入れたものを「四木」、三本線のものを「三木」と呼び、二つ合わせて「みよき」=魔除け につながるとも言われています。これには林業従業者や山にかかわる人々の宗教的な意味合いがあって、彼らの糧であり生活の源である木々たちを倒すための斧に、この線をいれていたそうです。
本の中でも、ヨキの奥さんはミキさんという女性です。小説も面白いし、映画もとてもよくできているのでおススメです!山の神さまもでてきます。笑
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この後、儀式の目的を修験者が読み上げている最中に、年を越したらしく、遠くのほうでは歓声や拍手があがりました。
修験者の方が淡々と儀式を進めているので、見物している参拝者たちは騒いでいいのか、?という謎の間があって、その後放送で「みなさん新年おめでとうございます。今年を越しました」とアナウンスがあり、小さく拍手するという、ふわっとした年越しになりました。笑
その後、宝弓の儀。
結界の四方に向かって、修験者が弓を射ます。ここが一番盛り上がりました。
矢が飛んでいくたびに「おおっ」と歓声が沸きます。落ちてくる矢をキャッチしようと人々が動きます。
この後いよいよ松明の火から護摩壇に点火され、護摩行が始まります。
この時点で40分以上外で待っていて、この日は日光に珍しく雪もないくらい暖かかったようなのですが、防寒していても寒く、ホッカイロを靴の中に入れなかったことを後悔しました。
それでも、世界遺産の中で火事は怖いからか、燃え落ちる時間を調整するためか、護摩壇の火加減は慎重で、少しでも炎が大きくなるとすぐに水をかけられていたので、キャンプファイヤーのような暖かさはありませんでした。笑
安全が一番ですよね。
その後、日光輪王寺の総本堂である三仏堂へ入りました。
三仏堂は現在改修中です。プレハブの覆いの上からお堂の絵が描かれています。普段は拝観料がかかるのですが、31日の夜は初詣だからか解放されていました。
これはまだ護摩が始まる前の、中が解放されていない時の写真です。内部は写真撮影禁止です。
護摩が始まってからはお参りできるようになります。
護摩壇の見物客が満足したらこちらに流れていくので、列があっという間に長くなっていました。
お堂は東日本では最も大きな木造の建物で、天台密教形式だそうです。囲いや足場があって、どのへんが天台密教形式なのかはちょっとわかりませんでした。堂内は広い石畳で、土間床なのは大陸の建築感があったようにおもいます。
比叡山延暦寺の根本中堂も天台式のお堂ですが、あそこのように本尊との間の谷は無かったです。
内陣には右から千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の三体の大きな仏像がいらっしゃいます。
日光三社権現本地仏と呼ばれていて、とても大きくて、黄金に輝いているので、眩くて迫力があります。なんと高さ7.5mもあります。
本堂の改修に合わせて、京都などで修復作業を終えたばかりで、2年ぶりに日光に帰ってきたそうです。だからか、本当に綺麗でびっくりしました。
お賽銭をいれる中央が混んでいるので、一礼したら広い堂内の中邪魔にならないように右に避けて、むしろこっちのほうが仏像のお顔が良く見えるので、そこで色々家族のことなど説明してお参りしました。
あの世のことはあの世の管轄、仏さまの管轄とおもって、まずは祖父と犬のあっちでのことをよろしく頼みました。
それから、一年前のお願いの報告とお礼です。
去年の年明け、弟のことで家族みんなが心を痛める問題が発生していて、でも本人の問題なのでまわりが何を言っても聞き入れず、困っていたところに、厄年ということで輪王寺の大護摩堂のほうで、厄除けの祈祷をしてもらったんですね。
そのとき、弟には単に「厄払い」としか言いませんでしたが、家族みんな心の中には「弟の悪縁が切れますように。悪い道に引きずる人と離れますように」と一心に願っていました。
それで、一年経って、参拝のため並びながらそれとなくそのことについて聞いてみると、「仕事が忙しくて、あんまり関わっていない」と言っていて、ぜひ日光でお礼を言わなくちゃと思いました。
今の若い人は、一周回って昔流行っていた悪徳商法やマルチ商法、ネズミ講などの知識がないので、若くて夢があって純粋で、でも現状あまり金銭に余裕のない苦しい人ほど、そういったものに狙われやすいようです。
家族がいくら説得しても、その関係の人たちで人間関係が出来上がってしまっていると、新興宗教やカルトと一緒で、そこの考えのみが良いものとして洗脳されてしまします。そうすると、家族の言葉も、反対する人は敵認定されてしまい聞き入れられないこともあるので、手の打ちようがないなとおもって、苦しいですが本人が痛い目にあって目が覚めるのをまつしかないような、半ば諦めの気持ちでした。で、縋る気持ちで両親ともども大護摩堂のお不動さんにお願いしまして、無事1年後になんとかなったので、やれるだけやったら神仏にお願いするのも、とても心強い助けになります。うちの家族にとってはそうでした。
わたしは、宗教でも商売でも人でも、「○○だけが良い、○○だけが素晴らしい、○○さんの言うことだけきけばいい」
というのは、怖いなあとおもいました。「信じる」という気もちは美しいです。でも、それは、ある一面では思考停止状態とも言えます。でもそれに本人は気づいていません。
気づきたくないんです。色んな選択肢を比較検討したり、自分の頭で取捨選択して取り入れることは、疲れるし大変だし難しいし、選択した結果に自分の責任付随していて、怖いことだからです。
何かや誰かを妄信して、それに従ってさえいればいいというのは、本人にとってはある意味とてもラクなことなんですね。不安や結果に対する責任を感じなくて済むからです。そしてそれを「正しい」と言ってくれる仲間が周りにいるので、居心地も良いのです。
そういった人たちが、みんな悪い人かといえば、中には明らかに他人を食い物にして自分の利益を得ようとしている人もいますが、全部が全部そうではありません。むしろ、“善人、良い人”のほうが多そうです。
でも、わたしはそういう生き方だけはしたくないとおもいます。失敗や間違いも、自分で引き受けたいです。そうしてこそ掴みとれるものがあると思うからです。それが経験というんじゃないでしょうか。やったことや結果が同じだとしても、言われるがままにただ何かをやるよりも、頭で考え身体で動き心で感じた経験は、とても大きいものを自分に残してくれます。
そして、それこそがわたしたちが生まれて生きている意味なんじゃないのか、とも思うのです。色んな事を経験して、感じて、考えて、また何かやってみたり止めてみたりする、そのために今この時代にいる。
わたしのエゴだとしても、自分や自分の大切な人たちには、自分の頭で考え自分の足で歩く人生を、生きて掴みとってほしいとおもいます。そのうえで、自分でもどうしようもできないこと、努力したあとのこと、は神仏にお任せするしかないな、ともおもいます。わたしにとって、自分を信じることと神仏を信じることに矛盾はないのですが、自分を信じる派の中には、その力が強いあまり「神頼みは絶対にしない、信じない。それより自分で努力することだ」という人もいて、わたしの感覚を説明するのは難しいので、そうだよね~とかそうなんだ~とかで流してしまいます。笑
まあ、それって弟なんですけどね。笑
参拝の列にいるときにで、「こういうの信じてない」とか言うので、ひやひやしました。お参りのときに、弟の代わりに無礼ですみません、バカだし失礼なやつだけど根は悪い子じゃないので、どうぞ見捨てないでくださいとお願いしときました。
経験して分かるものがある。また、経験しないとわからないことがある。これが生きてる意味である、と思うとなんだかワクワクするような明るい気持になります。そしてわたしが山伏や修験道に惹かれるところでもあります。多くの宗教が経典を重視する中、山の宗教というものは実際に山に入るという体験や経験を重視するからです。
それは、アミニズムや神道とも通じるところがあるとおもいます。日本人には馴染みやすい感覚な気がします。合理的な説明とかあとからでいいから、まずやってみなはれってことですね。
東照三社権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏も内陣内にあったようなのですが、それは気が付きませんでした。
お参りを終えた午前1時頃には、護摩壇の火も大きくなっていました。これぞ護摩祈祷!ってかんじですね。
参拝者が持ってきた昨年のお守りなどをお焚き上げしていました。
沢山あるので大変そうです。
輪王寺を出ると、東照宮の方には屋台が沢山でていて、初詣感が満載でした。
じゃがバターを家族四人でわけました。バターの他にコーンと甘めの味噌もトッピングできます。ほくほくして美味しい。
今年のお正月は家族で平和に過ごせて幸せでした。周りをみると、自分が持ってないものが目について幸せってことに気づきにくいけど、幸せってそういうもので測れるものじゃないですよね。自分が幸せと思えるか思えないかでしかない。わかっていても、この年になるとなかなか人生にも生活にも差がでてきてつい他人を羨んじゃいますが、何を持っていても持っていなくても、心の持ちようひとつで、誰かがそばにいてもいなくても、関係なく自分は自分で幸せにできるってことを忘れないようにしたいとおもいます。
みなさまにとっても良い一年になりますように。本年も宜しくお願いいたします。
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