縄文文化!?謎多き諏訪大社 上社 前宮編

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諏訪大社もずっと訪れてみたかった神社の一つでした。

というのも、四つの社で一つの神社という形態がとても面白いとおもったからです。

上諏訪にある上社の前宮、本宮と、下諏訪にある下社の秋宮と春宮。

四つ宮があるということは、何かしらの理由で四つ作らなければならない必要があったということ。

それが一体なんなのか、今でも多くの歴史家が探っている謎の多い神社です。

 

諏訪大社を参拝した後に、戸矢学著書の「諏訪の神 封印された縄文の血祭り」を読みました。

情熱をもって研究されているので、たまに急に熱くなったり多少論が強引だったり突然の岡本太郎批判もありますが、それも含めて、神長官守矢氏に関する考察など興味深くとても面白い本でした。

ただ、わたしがまわったときはまだこの本を読んでいなかったので、その前知識のない状態で自分で自然に感じたことをここから書いていきたいなと思います。

 

まずは松本から電車で30分くらい、上諏訪の駅へ。

松本から上諏訪への電車の本数も少なければ、駅から神社方面へいく公共バスも本数が少なすぎるので、もう歩くしかないと腹をくくって一歩を踏み出します。

わたしは歩くのは苦にならないので大丈夫ですが、ぐるっと回るとけっこう遠く感じるので、年配の参拝者の方々はどうされるんだろう?と心配になってしまいました。

 

町中にはこんな丸い巨石がでんとあります。

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どうしてこんなかたちになったんだろう?と思わせるような自然の造形に、人は畏怖の念を感じるらしく、しめ縄でくくってありました。諏訪の人々の素朴な信仰心がいいなあとおもいます。

 

30分ほど歩いて、前宮に到着。諏訪の象徴である神社を囲う四隅の御柱が青空に向かって立っています。

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後ろには緑の濃い森があるのがわかります。

神社の横には小さい小川が流れていて、風も通るとても気持ちの良い場所です。

この川は「水眼の清流」と呼ばれ、眼病治癒のご利益があるそうです。

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この「森」と「川」の二つの要素は、古来神社に必須のものとされてきたので、これだけでこの前宮が神社のために場所を選定できた古い時代からある神社であることがわかります。

諏訪大社のご鎮座については、古事記その他の資料から推定してすくなくとも1600年~2000年前と言われていて、この国でも最古の神社のうちの一つに数えられます。

前宮は名前のとおり、諏訪大社が最初にご出現なされた場所という言い伝えがあり、上社の祭祀の中心である大祝(おおほうり)家の居館があった場所です。

鳥居の右側の建物は内御玉殿で、諏訪大神の幸魂奇魂を祀っています。

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鳥居の左側には十間廊があり、上社の最大の神事である御頭祭がここで行われたそうです。

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前宮本殿はここからさらに200m登ったところにあります。諏訪大神が居を構えた地であり、さらに本殿後方の小高い所は諏訪大神の御神陵だと伝えられています。

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そんなに豪勢ではなくこじんまりとした印象ですが、その分周りの風景と溶け込んでいて、神社の境界が曖昧というか、この辺一帯の自然も含めて“良きところ”という感じがします。適度に明るく、適度に陰があります。この県道から入って一段高くなった広場一帯は神原(ごうばら)と呼ばれて特別大切にされていたそうで、地元の人々の生活と距離が近い感じがして、親しみやすいお宮だなあとおもいました。

 

そこから本宮へ向かって歩いていく途中に、神長官守矢資料館があります。

上諏訪に行く方、こちらには絶対に立ち寄ってください!!!

もう本当に度肝をぬかれる大変面白い資料館なんです!!時間がなくても、ここに寄らなかったら諏訪大社の面白い部分の大部分を見ないでいることになってしまうと思います。

 

神長官守矢家というのは、古代から明治時代の初めまで諏訪大社 上社の神長官という役職を務めてきた一族です。

前宮に居館のあった大祝諏訪氏というのは、現人神としての存在だったようで、実際に神事を取り仕切っていたのは神長官をはじめとする五官祝(ごかんのほうり)でした。神長官以外に、禰宜の大夫守屋氏、権祝の矢島氏、擬祝伊藤氏、副祝長坂氏がいたそうです。

 

神長官守矢家の祈祷殿があります。これは明治8年(1875)に取り壊されたものの昭和5年に再建したものです。

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ここの案内板には、神長官守矢家の祖先は諏訪大明神 建御名方命(タケミナカタノミコト)が諏訪にやってくる以前からの土着の神といわれ、古代以降大祝を補佐し代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄であると書かれています。

神長官家の儀式は一子相伝で、神長以外の何人も携わるのを許されなかったそうです。

 

その向かい側に資料館があります。

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この屋根から鹿の角のように柱が四つ突き出ている面白い建築は、この地で生まれ育った建築家、藤森照信さんのデビュー作です。

土壁のような内部は薄暗くひんやりとしていて素敵です。

そんな入り口を通ってすぐに目にするのは、こちらの衝撃の展示。

 

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御頭祭(おんとうさい)の再現です。

 

みてください、この圧倒的な動物の頭、頭、頭・・・・・・。

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江戸時代まで行われていたこの神事は、諏訪上社において非常に重要な神事でした。

先ほど見た前宮の十間廊に鹿の首70頭余りを備えたそうです。

そのほか、うさぎの串刺しや、脳和という鹿の肉と脳みそを和えた供え物など、もうこれでもかというくらい血みどろで匂いのきつそうな内臓祭りなわけです。

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これを見たとき、わたしは強烈な違和感を覚えました。

 

というのも、日本の神社とは、そもそも清浄を好むもので、だから流れる水で禊のできる川のそばにあったりお手水がついていたり、喪や月経中は参拝を遠慮しなければいけないほど血が苦手な場所だとされているのに、こんな血みどろホルモン祭りをする神社があるのか?!それも“大社”の名の付く古代から大切にされてきた神社で?という衝撃がまず最初にありました。

 

そして、この鹿。

 

鹿と神ときいて、なにがわたしたちに馴染み深いかというと、奈良の春日大社や、厳島神社のある宮島にいる鹿ですよね。彼らは神獣として、まあ今は観光客向けの目玉としてかもしれませんが、殺生されることなく平和にのんびりときに図々しく暮らしています。

春日大社の鹿は、茨城の鹿島神宮から神様が勧請されるときに乗っていったという伝説があります。つまり、奈良の鹿は茨城から連れてこられたということですね。

鹿島神宮の御祭神の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は白鹿に乗って御蓋山(三笠山)にきたので、鹿を神獣として保護するようになった、と。

 

まず、日本の各地で、さらにその都であった奈良の大社や“神宮”という別格に格の高い神社で手厚く保護されている神獣である鹿を、何頭かではなく何十頭も殺して、さらに生首をこれ見よがしに並べるという、この神事の異端性は何事なんでしょうか。ちょっと普通じゃないですよね。なにか並々ならぬ事情がありそうです。

 

さらに、鹿に乗っていったという武甕槌命は天照大神の命を受けて、出雲の大国主命の国譲りの際に、抵抗した建御名方命を相撲で倒して、諏訪の地に追いやったというエピソードが古事記にあります。

 

これは、なにか関係が無いというほうが不自然なくらいなにか訳アリな匂いがプンプンしますよね~~!!

こういうことに出会うと、わたしの古代史萌え、いや古代史ロマンへの妄想が炸裂してしまい、テンションがあがります。

 

今のたいていの古代史を語る学説において、古事記や日本書紀における“神”はモデルとなる集団や一族があり、もしくはその頭領が神話の中でキャラクター化やシンボライズされたものだと考えられています。“神様”の名前の漢字や音の要素を分解して研究していくと、そういう個人や集団を指していることがわかったりします。たとえば神話の中での“神様”同士の結婚とはある一族や集団同士の同盟関係のことを言っていたりするわけです。話が少しそれましたが、信仰としての神さまではなく神話や伝承の中で語られる“神様”は、古代の覇権や勢力争いなどを解き明かすのにとても良いヒントを持っているということです。

 

何千年後のわたしたちがどれほどああでもないこうでもないと古代のことを考えても、絶対的な真実を知ることはほぼ不可能でしょう。でも、古代の人が色んな事情でそのまま書いて残せなかった時代のうねりのカケラを、神話や土地に残る遺跡や神社仏閣を巡ってこうやってつなぎあわせてあれこれ自分なりの物語を再構築するのが、本当に楽しいんですよね。

古代人の残したなぞなぞを解いているような気持ちです。

 

閑話休題。

 

この御頭祭ですが、今は動物愛護のことや各方面からいろいろ怒られるのか、剥製の頭をおいて代用しているそうです。

ただ、もう上社には神長官の一族も現人神としてまるでこの地の天皇のように扱われていた大祝氏もこの地にはおらず、神社の祭祀や運営にも関わっていません。

 

というのも、明治維新の際に神社はすべて神社本庁の下におかれ、まるで政府と同じように神職も中央から派遣されているからだそうです。しかし、わたしはここの部分については調査が不十分なので、事実と異なることがあればぜひ教えてください。

 

ただ言えるのは、守矢氏の祈祷殿なども明治に入って壊されてしまったり、各地の神社が神社統合の憂き目にあってなくなってしまった事実があるので、明治政府の功罪はとても大きいと思います。教科書に載っているので有名な廃仏毀釈も悪名高く、多くの仏教寺院が辛苦を味わいましたが、制度を整えるという名目で神社のほうもそれまで守ってきたそれぞれの氏神や在野の神社、祭祀なども、統合化され合理化されて本来の姿を変えられてしまったり消滅しています。神社の合祀反対運動では南方熊楠が有名ですが、彼のように政府に文句をつけて氏神を守る活動ができた人はそんなに多くなかったとおもいます。

どれほどの素晴らしいものが失われてしまったのかとやるせない思いでいっぱいです。

江戸時代までは日本中にあった城も、現存しているコンクリートではない城は数えるほどで、ほとんど明治期に価値のわからない政府や人々によって取り壊されてしまいました。

 

旅行に行って、ここにそれらが残って居たらなあと思うたび、どんなに時間をかけて守ってきても、変化する時代のスピードの中でなくなるのは一瞬なんだということを肝に銘じて、大切なものが何かを判別できる自分のものさしを磨いておこうと思わされます。

 

 

次回は諏訪大社より前の土着の神さまと、本宮編です!

 

 

 

 

 

 

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