道祖神と八面大王  安曇野探訪 後編

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安曇野を自転車で回っていると、本当に多くの道祖神を目にします。長野って道祖神が多い地域なんですよね。
道祖神とは路傍の神です。


集落の境や村の中心、三叉路や辻などに自然石や五輪塔、多くは石像や石碑の形で祀られ、厄災の侵入防止や子孫繁栄、村の守神、男女和合、時代が下ると旅や交通安全の神としても信仰されてきました。

起源は不明ですが、すでに8世紀の平安時代には「道祖」や「さへのかみ(塞の神)」の言葉が文献に残っています。
わたしは東南アジアを巡っていたとき、タイの山間部の少数民族の村の入り口で、魔除けとして、木で出来た男女の性交を表した人形が置かれているのを目にしたことがあります。

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それは神聖なものであり、決して触れてはいけないとのことでした。

道祖神に男女の神の姿が彫られていることと、同じ聖なるものの考え方がここにあるようにおもいました。

川べりに早春賦の石碑があります。
“春は名のみ〜の…”


爽やかなメロディーですよね。

この歌詞は安曇野の遅い春を待ちわびて作られたそうです。

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春は川ぞいの桜並木と菜の花が咲く光景が綺麗だろうなあと思い浮かびます。

それから、NHK連続テレビ小説「水色の時」のために制作された道祖神に寄りました。


抱き合っている男女の神さまが可愛いです。見ているだけでほっこりします。

 

その後、大王わさび農場へ。
とっても広いです。わさびってこうやって栽培されてるんですね〜。初めて見ました。


綺麗な水が必要なんですね。
広い農場の一角に、大王神社があります。


大きな草鞋が目を引きます。
この大わらじには2つ謂れがあるそうです。

1つ目は、大和朝廷が全国統一を目指していた昔に安曇野平にいた魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)という王(むらおさ)または鬼賊とされる人物に由来するものです。

彼は身長2mを超す大男の強者でしたが、東北征伐途上の征夷大将軍 坂上田村麻呂と戦い、”まつろわぬもの”として斃されます。
その際に首と胴体を切り離し、胴体を埋めたのがこの辺りだったことから農場の初代が大王神社として祀り、巨体を象徴して大きな草鞋が奉納されるようになりました。
有明神社の奥の山中には、この草鞋と同サイズの”八面大王の足跡”が巨石の上に残されているそうです。
安曇野にはこの八面大王に所縁の場所が沢山あります。

穂高温泉郷に八面大王足湯があったり、中房山の北、有明山の麓の宮城には「魏石鬼ヶ窟」が残っていたり、八面大王の首の首を埋めたのが「塚魔」であり、その上に権現を勧請したのが松本市の筑摩八幡宮(つかまはちまんぐう)とも言われています。

 

2つ目の由来は、大王わさび農場開拓の際、これに協力した農夫たちは冬場も草鞋ばきで作業をし、水に浸かった足が真っ赤に腫れ上がったことから、これに感謝して奉納したというものです。
感謝もあるかもしれないですが、それだと巨大な草鞋にする必要はないので、八面大王の伝説にのっかったものと考えるのが自然な気がします。
巨大草鞋の後ろには石の祠があります。

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八面大王には、二通りの見方があります。
まずは、『信府統記』にあるような民に迷惑をかけ、坂上田村麻呂に征伐される鬼、悪党であったという見方。

これの元ネタは『仁科濫觴記』にある、8人の盗賊の首領が「八面鬼士大王」と名乗って悪さをしており、朝廷により討伐されるという話のようです。

もう一方は、坂上田村麻呂の東征の際に信濃の民に食料などの貢を強いて、それを見かねた八面大王が立ち上がって戦ったという、英雄としての見方です。
大王わさび農場では、後者の見方で説明されていました。
“桓武天皇(西暦785~805年)の頃魏石鬼八面大王という世にもすぐれた怪力無双の首領が、この地「安曇野」を治めていました。全国統一をめざす中央政権は、東北に侵略をすすめるにあたって、信濃の国を足がかりとし、沢山の貢物や無理難題を押し付け住民を苦しめました。大王は坂上田村麻呂の率いる優れた武器を持つ軍勢に刃向かうつもりはなかったものの、戦いは大刃や矢を持つ男ばかりか、女、子供まで巻き込み次々と村々は焼き払われていきます。追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない有明山のふもとの岩屋にこもって力の限り戦いましたが、ついに山鳥の三十三斑の尾羽で作った矢にあたり倒れてしまいました。八面大王はあまりにも強かったため再び生きかえらぬようにと遺体はバラバラにされ埋められました。当農場の一角には胴体が埋められたと言われており、現在は大王神社として祀られています。「大王農場」の名前も、この故事にちなんでつけられたものです。【大王わさび農場】”
要約すると、安曇野にいた原住民族の王である八面大王が侵攻してきた大和勢力に従わず、朝廷に対して”まつろわぬもの”として処刑され、復活を恐れられ胴体をバラバラに埋葬された、ということです。

 

農場の中には、大王窟と開運洞があります。

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左手の大王窟は、八面大王が最後に立てこもった岩屋を再現したものだそうです。
中には二体の仏像がありました。

右手の開運洞は七福神が祀ってあります。

大王窟だけだとホラーな感じだから付け足したのかな?笑
裏手の小高くなった築山は「大王さまの見張り台」と名付けられています。

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農場主、八面大王大好きすぎますね。笑
頂上には太陽を表したのか謎の球体があります。

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石があると、積み上げたくなるのが人間の性なのか…

このわさび農場を見学して、文献や公の記録には鬼や成敗されるべきものと描かれている八面大王が、こんなにも安曇野の人々に大切にされていることを知って、敗者は歴史の正史には残らないのが常ですが、人の心には残るんだなぁと感じました。

わさび農場の開拓者や初代のオーナーが、八面大王びいきなのがビンビン伝わってきます。
わたしも、”まつろわぬもの”に何故か惹かれます。

修験者、山伏、山窩、蝦夷、アイヌ…中央の権力や権威から距離を置いて、独自の文化と規範で生きてきた人々に、歴史の影に生きていた人々に、心が揺さぶられます。
わたしも、自分の中に彼らの価値観を持っていたい、長くて強いものに巻きとられずに生きる人間になりたいと、憧れを感じているのかもしれません。
農場の中にも、沢山道祖神がありました。

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水車と船の長閑な風景に心が安らぎます。

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最後にわさびソフトを食べました。

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確かに、わさびのあの辛さが後味にありますが、ソフトクリームの甘さもあってなんとも不思議な美味しい味です。

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わさびが沢山。実家に漬物などのお土産を購入して、穂高駅に向かいました。

自転車を漕ぎながら、前方に広がる、安曇野の風景を目に焼き付けます。
高いビルなどないから、遮るものがなく風が通って、空もこんなに広いのかと感じます。

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やっぱり、山が見える風景っていいですね。
穂高駅周辺にはあまり夕飯が食べれそうなところがなかったので、松本までもどり、佐蔵というラーメン屋さんに行きました。
店も蔵の感じがでていて、ちょっと高級感あります。

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自転車を漕いでカロリー消費した日は、こってり味噌ラーメンが美味しかったです。

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