金沢能登旅③漆の輪島とキリコ

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石川県へは何度も訪れていて、金沢観光や21世紀美術館なども一通りみていましたが、輪島は遠くて今回の旅で初めて訪れました。

輪島へは金沢から長距離バスで向かいました。

ネットで調べると「輪島駅」というのが出てきましたが、現在は廃線になっていて陸路のバスしか交通手段がないんですね。

駅舎のあとのみ残っていました。

10:30輪島に到着

小雨が降りそうでしたが、観光案内所でレンタサイクルを借りてまわりました。

まずは石川県輪島漆芸美術館。

こちらで竹園自耕の没後50年記念の展覧会を見ました。

色合いで図案をまるでレリーフ彫りのように見せる技が美しかったです。

漆は色合いも扱いもおもったとおりに出すのは難しい素材なのに、絵の具のように使いこなしていました。

また、ミュージアムショップで漆の葉のしおりや、漆の木の耳かきとかあって、漆好きには楽しいラインナップでした。

輪島では漆の産地として、輪島塗の各工程が分業制で制作されています。

そのそれぞれの工房を、のれんがかかっている工房は見学可能なところもあるので、「のれんマップ」という地図を片手にまわりました。

作業工程の中で、最後の仕上げの塗りを行う

上塗屋 中門漆工房さん。

漆の大敵のホコリをどんなふうに避けているか、注意深く塗りのために気候や湿気を感じているか、

独自に開発した鮮やかなブルーの漆の話などお聞かせくださって、輪島の職人さんのすごさがわかりました。

天体のようなきれいなグラデーションカラーを漆塗りでされているのが特徴です。

漆という古代からある素材も、現代でまだまだ進化しているんだなとおもいました。

海の近くの輪島キリコ会館へ。

わたしは輪島に来るまで、キリコというものを知りませんでした。

キリコとは能登のお祭りのシンボルでもある御神燈で、御神輿を先導するものです。

「切籠(キリコ)」「奉燈(ほうとう)」と呼ばれる巨大な切子燈籠で、地域によって御明かし(おあかし)とも呼ばれています。

古いものの中には柱が11mあまり、幅2mと大きなものがあり、全体に荘厳な装飾が施されています。

キリコの始まりがいつ頃かは定かではないようですが、疫病退散を願って始まったとされると言われています。

奥能登には大小800本以上が今でも保有されているそうです。

元々は笹ギリコという小さなものだったのが、次第に大きくなり、総輪島塗で地区の権威を示すようになっていったようです。

大正期から電線の高さに抑えられ、往時の半分の6mほどになったそうです。

石川全域ではなく、能登半島だけの特色というのが面白いですよね。

能登人はこのキリコをとても誇りに思っていて、担ぐのも誇らしいようです。

他県に働きに出たり、上京している人たちも、盆には帰省しなくても自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加しているといわれるくらいです。

前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれ、「後美人」と呼ばれる背面には様々な絵(武者絵や風景画など)が施されています。

7月から10月に掛けて夏祭り・秋祭りとして、現在も能登の約137の地区でお祭りがおこなわれているようですが、その模様がビデオで見ることができます。

海に向かって御神輿が入っていくのは海の近くの信仰では割とありますが、その中の一つで、御神輿を足蹴にしているのにはびっくりしました。

激しくゆする、斜めにするなど手荒に扱うことはありますが、仮にも神様が入っているのにその扱い方良いの!?

とびっくりして施設の方にきいてみたところ、「あばれ祭」という宇出津・八坂神社の祭礼でした。

なんでも、神様は京都の八坂神社の神様で、「あばれればあばれるほど疫病退散のご利益がある」といったとのことです。変わったことが大好きな、牛頭天王の性格がでているようで面白い言い伝えですよね。

どれほどの暴れっぷりかというと、

「海中に投げ込まれるのを皮切りに、お旅の路上でも、道路に叩きつけられ激しい放水を浴びせられる。橋の上から川に放り込まれ、揉みくちゃの水責めにあう。さらに、八坂神社への宮入り前には、赤々と燃える「置き松明」に投げ込まれ、壮絶な火責めを受ける。その名に違わぬ暴れぶりだ。」

「勇ましいことを好む牛頭天王を喜ばせようとキリコや神輿が激しく暴れ回り、数あるキリコ祭りの中でも、飛びぬけて豪快といわれています。」能登のキリコ祭りHP

とあって、ほんとに御神輿を苛め抜く笑

氏子と神様のSMプレイとでもいうかんじで、本当に面白いなと思いました。

わたしだったら遠慮しちゃいそう笑

その後、石川へのバスまでの時間に、キリコ会館近くの重蔵神社にお参りしました。

1300年の歴史がある、輪島の守り神様です。

主祭神は天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)と言われていて、出雲から来臨して能登半島を平定したといわれる大国主名の父神です。

あまりなじみがない神様のお名前が、土着の産土神社というかんじがしていいですよね。

本殿の内陣の扉に朱塗りが施されていて、輪島市最古の漆工芸といわれています。この扉には面白い逸話があって、「本殿は明治四十三年(1910年)の大火で焼失。しかしどういうわけか、この扉だけが輪島湾の海中に漂っているのを氏子が発見し、拾い上げ、翌四十四年に再建された本殿に使用され、今日に至っています。」重蔵神社HPより

とのこと。

漆は太陽光で劣化しますが、それ以外にはとても強い自然素材で、海水の中でも腐食せずに綺麗に残ります。

沈没船の中でも、他のものがどんなに朽ちても漆の物だけはそのまま綺麗にのこっています。

重蔵神社は昔は重蔵(へぐら)神社と呼ばれていたという説があります。

輪島市の約二十五km沖にある舳倉(へぐら)島は、海女(あま)の島として知られています。

島には、永禄年間(1558~70年)に筑前鐘崎(福岡県宗像市)から渡ってきた海士(あま)が島の先祖だという伝承があります。筑前鐘崎には宗像大社の三社、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮がそれぞれあります。海士は宗像三社の三女神を輪島でも敬うために、舳倉島に奥津比咩神社を建立、七ッ島の中津比咩、重蔵神社をそれぞれ当てはめてお祭りしたようです。

海のそば、海洋交通のあるところには宗像三女神が祀られていますね。

陸のルートでは遠いように思える能登と筑前ですが、海の交通だと案外かかわりがあったのかもしれません。

宗像大社にいったときのレポもまだ書いていないので、いつかご紹介できたらとおもいます。

お稲荷さんとたぬき天神が並んで祀られているのが変わっていますね。

狐と狸が隣り合わせ…お互いどう思っているんでしょう笑

狸といえば香川の屋島に狸のお寺がありましたが、お狐さまよりすこしとぼけた感じが

可愛くて親しみやすい感じがします。

漆の産地である輪島と白山に登るのが今回の旅の目的だったので、どちらも達成できて嬉しかったです。

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