長い橋を渡るときは


“長い橋を渡るときは あの人は帰らぬ”

という歌詞がザ・フォーク・クルセダーズの「感謝」という曲のなかにあります。

 

この一年、家族と話し合って、祖父の介護のためにわたしは実家に戻っていました。

その祖父が先日亡くなり、寂しいやらホッとするやら、葬儀の準備や親戚の対応で忙しいやらでここ数日は目まぐるしかったです。

それで、介護や葬儀や色々を経験してちょっとどうなの~とおもったり、自分の感情がざわついたり、色々感じたことがあったので、今回はそれについて書きたいとおもいます。山はあんまり関係なくてすみません笑

 

まず、介護をしたといっても、わたしが直接祖父の世話をしたのは、約1年という短い期間でした。

介護生活7年とか、長年先が見えない介護を続けられている人が多い中で、たかだか1年面倒みたくらいで・・・とおもわれるかもしれませんが、ここ1.2カ月で状態が悪化するまでは、祖父もまだまだ生きそうで、“一体いつまでこの生活が続くのか・・・”と漠然とした不安を抱えていました。

頑張ろうとおもっても、一体いつまで頑張ればいいのかわからない。

介護で一番キツイのは、この“終わりが見えない”ということじゃないかなとおもいます。

 

わたしはアラサーということもあり、今年も結婚・出産ラッシュで、着実に人生を次の段階に進めている友人の報告をきくと、

幸せを喜ぶと同時に、家で祖父の排泄の後始末などしているときに、ふっと“わたしの20代最後はこれで終わるのか”とおもうことがありました。

まあ、冷静に考えるとわたしが結婚していないことと、祖父のことは関係ないんですけどね!笑

 

ただ、介護って一緒に住んでいる家族からは大変さをわかってもらえたり感謝してもらえますが、同世代に同じような経験をしている人が少ないこともあって、悩みを相談できる人が少なかったり、社会に参加していない焦燥感というか、家の中で老人と2人で、いくらわたしが頑張ったって世の中には何にも関係ないというかんじがして、すごく孤独を感じる時がありました。

 

わたしはここで停滞しているのに、周りの人はみんな前進していて、どんどん置いて行かれるようにおもったり。

もちろんデイサービスなど利用して、週に3日~4日は日中は祖父を預かってもらっていましたが、それでも一日一緒の日はずっとトイレは介助しないといけないし、夜中もトイレに起こしたりすると、とてもじゃないけど今の政府が進めている“仕事を辞めずに介護をする”なんてことは不可能だとおもいました。

 

介護施設の人との話し合いなども、すべて平日だし、働きながら介護している方はそのたびにお休みをとらなくちゃいけなくて大変だとおもいます。

 

色んな人から、「孫が介護をするなんて大変だね。よくできるね」と言われたのですが、そんな中でも続けられたのは、とても可愛げのある祖父だったからに尽きます。

 

“可愛げ”、これ大事です。

みんないつか介護される側になるとして、人に世話される状況になっても偉そうだったり文句が多かったり、そういうご老人って沢山いますが、祖父は生まれ育ったところから離れた、友人も所縁もないうちの家に引き取られても文句ひとつ言わず、夜布団をかけてあげると片手をあげて「ありがとう」と言ってくれていました。

 

単純かもしれませんが、「ありがとう」の一言だけで、「ええんやで~」という気になって、イライラがすっと軽くなります。

わたしも絶対可愛げのあるおばあちゃんになろうと心に誓いました。笑

 

祖父は夜中にトイレにいくとき、「必ず誰か呼んでね。大きな声だしてね」とどんなに頼んでも、「夜中に起こすの悪い」と一回もやってくれず笑、

わたしは祖父の使う歩行器ガシャンガシャンの音で起きて様子を見に行っていました。

そんなとき、耳の遠い祖父はなんでわたしが起きてくるのか不思議だったようで、「なんでわかるんや。アンタはすごいなあ」と子どものように目を丸くしていた顔を思い出します。

 

あとは、何かしら時間をつぶせる趣味をつくっておくこと。これは特に仕事に打ち込んできた男性は、ぜひ元気なうちから見つけておいてほしいです。

女性はおしゃべりや塗り絵なんかでも楽しんで時間を過ごせる人が多いそうですが、うちの祖父の場合は囲碁も将棋もしないし、本も読まないしで、耳も遠いしで、日中ぼーっと座っていることが多く、頭を悩ませました。

どこかへ出かけるんじゃなしに、家の中でも一人で時間を楽しく過ごすことができる、これって高齢者じゃなくても、人生を楽しむために必須な能力だとおもいます。

 

その点、もう一人の元気なほうの祖父は、iPadに麻雀や花札のゲームをインストールしてあげたら、ちゃんと使いこなしていました。まわりの麻雀仲間がみんな亡くなって麻雀ができなくて寂しがっていたので、これはいいと喜んでくれています。

年齢に関係なく自分で工夫して頭を鍛えたり、一人の時間を寂しくなく充実させられるのって、人生の最後にとても役に立つんですね。

 

介護をしていた祖父ですが、最後のほうは脳出血をして入院して、口から食べ物をとるのが難しくなり、点滴をしていました。

病院にいるときにお医者さんに「このままだと栄養が足りないので、鼻から栄養を入れましょう」

と提案されました。

 

うちは“無理な延命処置はしない、胃ろうは本人がつらいのでやらない”ということは家族みんなで決めていましたが、いざこうなるとどこからが無理な延命なのか、線引きが難しくなります。

胃ろうも鼻からの管も、おなじ栄養を管でいれるものなので迷ったのですが、先生曰く「鼻からはもっと気軽なもので、ここまでは皆さんされる方が多いですよ」と言われました。

 

祖父は前に入院したときも鼻から管を入れるのをとても嫌がったので、本人はきっとイヤだろうなと家族はみんなわかっていたましたが、病院にいる以上なんらかの医療行為をしないと置いといてもらえないし、脳出血のほうは落ち着いているとはいえすぐに家には引き取れる状態ではないため、鼻からの栄養で体力が回復して、また口から食べられるようになったら外せるときいて、とりあえず一週間様子をみるということで決断しました。

そのとき、母が念をおして「望めば鼻からの管は外してもらえるんですよね?」

 

と確認したのを、たしかにわたしも聞いています。そのとき担当医の先生は、「そうですね」と答えましたが、あまり積極的にそのことについて説明はなかったです。

 

そして結局、一週間以上経っても鼻の管は抜いてもらえなかったのでした。

 

「外すと明らかに容体が悪くなるとわかっているのに、外すことはできない。」

これが病院側の主張です。たしかに、病院という医療をして人を生かすためのところでは、この理念が正しいのだということはわたしたちもわかります。

 

しかし、祖父は鼻からの管がほんとうにイヤだったようで、動くほうの手にはグローブをかぶせられたり固定されたりしていて、面会に行ったときにその手をにぎるためにグローブを外すと、目を離したすきに管を抜こうとしていました。

さらに、鼻から栄養を入れ始めたあとに、痰がすごく絡まるようになって、痰の吸引がはじまったのですが、これがものすごく辛そうでした。

病院で「これって鼻からの栄養いれてることと関係ありますか?」ときくと、「関係ありません」と言われましたが、知人の医療従事者に話をきくと、経管栄養の高齢者は、口からものを食べないので嚥下する力がどんどんなくなり、痰がからみやすいということでした。

 

祖父は直筆で「延命治療はしないでほしい」という手紙を残していて、それが見つかったこともあり、本人もこう書いているので、と頼んでも、「家族や本人の希望でも、管を抜く判断はちょっと・・・出来かねます」と言われてしまいました。

 

「抜いたら確実に悪化しますよ、それでもやるっていうんですか」といった口調で、一緒に説明してくれた看護婦の方が言っていたのですが、

わたしたちはそれは悪化ではなく自然なことなんじゃないか、と思っていたんですね。

 

口からものが食べられない以上、弱っていくのは仕方がない。でも、それが老化であり、老衰ってそういうことじゃないの?

身体が死ぬための準備をしているんじゃないの?

それを“悪化”といって、無理に栄養を与え続けたとしたら、いったいいつ自然に死ねるの?

 

疑問が渦巻きましたが、必死に祖父を“生かそう”としている先生方の前では、さすがにここまで口にするのは躊躇いました。

 

このとき、担当のケアマネさんも、「話がちがう!ご家族の希望に沿っていないし、最初に言っていたこととちがう」と抗議してくれたのですが、“病院”に入る限り、自然に死ぬのは無理なんだな、ということがわかったので、もうここではどう足掻いても鼻の管は抜いてくれないな、とあきらめました。

 

最初の時点で、うちの家族が強い意志をもって断らなければいけなかったんですね。そのときはわかりませんでしたが、甘く見ていました。

 

外せないなら、先生にも最初に「入れたら外せませんよ」とはっきり言ってほしかったのですが、そうするとうちの家族はやらなそうだったので、きっとこういう言い方になったんでしょう。

病院も慈善事業ではないので、点数が稼げない医療行為をしない人のためにはベッドを置いておくのは効率が悪いし、良い悪いではなく、病院はそもそも人を長く“生かす”ための場所で、うちの祖父のように穏やかに“死にたい”という人とは方向が違うということかもしれません。

ただ、どんどん高齢者が増え、医療技術が進んで長生きができる世の中になっていることを考えると、ただやみくもに“生かす”ことが、その人の“幸せ”に繋がらない場合もでてくるとおもいます。

賛否両論あるとおもうし、極論になるかもしれませんが、わたしなんかは、80歳過ぎたら延命治療は、本人及び家族の強い希望がないかぎり極力しない、というくらいでもいいともおもいます。

 

また、自分や自分の親にだったらやらないような、苦しい経管栄養を、他人には平気で進めるという病院の在り方も問題だとおもいます。

わたしは言いたかったです。

「悪化悪化いいますけど、自分が同じ寝たきりの状態でも、鼻から栄養入れてほしいですか?あなたは自分の親にも、本人が抜いてと言っても同じことをやれるのですか?」

 

しかし、まあこれが現在の“医療”であり病院の考え方だから、先生が悪いわけじゃない。

言ってもしょうがないので気持ちをきりかえまして、それで、管をつけたまま入所できて、痰の吸引もできる場所、そして移った後には延命治療をやめてもらえるお医者さんのいる、老人ホームなり高齢者の医療施設などを探しはじめたのですが・・・

これがまた大変でした。

 

・痰の吸引が無ければ入れるところはある。(安い)

・もっと管をつければ(酸素とか胃ろうとか)入れるところはある。(安い)

 

でも、鼻から管が入っていて、痰の吸引もあるけど、これ以上はしたくないってなると、症状が中途半端で、医療行為は必要だけど重くはないから医療行為専門のほうにも入れない、ってわけで・・・

 

・鼻からの管、痰吸引に対処する常駐の看護婦のいる、でも家族が望めば鼻の管を抜く決断をしてくれる訪問看護の先生がいる、高級有料老人ホーム(高い)になりました。

 

ここはホントに良いところで、移ってよかったとおもっています。でも、鼻からの管がなければ入れたところの3倍くらいの金額がかかります。

入居するときには保証人も必要です。というのも、高額な入居料を最初のうちは支払えても、入居者が長生きするとその分家族の負担が増え、払えなくなって転出するというケースも少なくないそうです。うちは結局、移ってから一カ月くらいで亡くなったのですが、入れる点滴によっては1年や2年、それ以上・・・胃ろうなどすると10以上寝たきりのまま生きる人もいるとなると、それも頷けます。うちだって、祖父にあと10年生きられたらうちの財力では無理になったでしょう。

 

そして一旦延命治療を始めてしまうと、家族や本人の希望でもやめることはとても困難です。

 

病院で鼻から管さえ入れなかったら、いっぱい選択肢はあったのに・・・つくづく悔やまれます。

 

同じような状況になったら、最初が肝心だということを、よく頭に置いておいてほしいです。

 

ただ、普通に穏やかに死ぬことだけが希望なのに。

それがこんなに難しいなんて。

まだ、ガンなどの病気であれば終末医療で、痛みをなくすだけで延命措置はしない、というほうが希望に沿った治療をしてもらえるのかもとすら思ってしましました。

病気じゃないほうが、普通に老衰していくのが難しいなんて思いもしませんでした。

また、本人の希望を無視して医療行為を沢山つければ、安い医療老人ホームに入れるのも、なんだか変だなあとおもいました。余計なことをしないほうが高くつくなんて・・・。

 

結局、新しい老人ホームに移って、そこでもう一度訪問介護の先生と話し合って、鼻からの管はとってもらい、最初の2週間は小さな点滴をしてもらいました。

先生に「嚥下がむずかしいとなると、必要な水分も取れなくなって、砂漠にいるみたいに乾いて苦しいから」と言われたので、それはたしかに可哀そうだな・・・とおもったからです。

 

それで、鼻の管を抜いてみると。

 

なんと、栄養じたいは取っている量は減っているはずなのに、病院では目が開いている時間が短かったのに、老人ホームではいつもぱっちり目が開いているんです!!!

これはすごい驚きでした。

 

病院では導尿をされて管が入っていたのですが、これも手で抜きたがるので、こっちの管も抜いてもらいました。

そうすると、表情も以前のように眉間のしわがなくなり、はっきりして、起きている時間が明らかに長くなりました。

 

「おじいちゃん管嫌いだったもんね~、全部取れてよかったね~。」とわたしたちも、ようやく祖父の希望をかなえられて嬉しかったです。

こっそり、スポイトで大好きだった日本酒も一口二口あげたりしていました。すると、看護婦さんは嚥下できないといっていたのですが、ちゃんとごくりと飲み込むのです。声は出せなくなっていたのですが、目が「あれ?酒やん!」というふうに、ぱちくりと輝きます。

たぶん匂いとかで看護婦さんにはバレていて、「誤飲は肺炎になりやすいので~」とかやんわり注意されていたのですが、今更長生きしたいわけでもないんだから、好きなもの飲んで死ぬならそれも幸せじゃない~と最後まであげてました。笑

 

こうした希望にあった施設を探してきてくれたので、ケアマネさんには大変感謝をしています。

でも、わたしは少し気にかかったことがありました。

 

それは、鼻からの管を抜いてもらうために病院を退院することを決めて、ケアマネさんとの相談の時です。

ケアマネさんもわたしたち家族と同じくらい病院の対応に怒ってくれていたのですが、その後私たちの希望としては「病院では管を抜いてもらえないので、このまま受け入れてくれて、移った先で管を抜ける施設が良い。どうしてもそういう施設がないのだったら、最終手段として自宅でみる覚悟はあります」ということを伝えました。

 

しかし、「一度自宅で引き取ってあげるのが一番いいとおもう」ということを何度も言うのです。一番良いって、誰にとってなんでしょうか?

 

このときわたしは感傷的な気持ちで、祖父を自宅に引き取るとは言っていませんでした。自宅に引き取るのは、あくまで延命措置をどこも外してくれない場合、仕方なく自宅なら鼻からの管をとれるから、自宅で看るという意味です。

なぜなら、それまでずっと自宅で介護をしていて、寝たきりになった場合はもっと負担が大きいとわかっているからです。

寝たきりの場合、夜中も二時間おきに体位交換をしなければならいし、痰の吸引もわたしたちがすることになります。

プロの看護婦さんがやっていても苦しそうなのに、素人のわたしが痰の吸引をして、本当にできるのか、苦しそうでもやらなきゃいけないのに遠慮してしまったりしそうです。

祖父のためにも、施設に入ったほうが良いとおもいました。

また、施設に面会にきたらその1時間や2時間は祖父の部屋でずっと話しかけたり手を握ったりして過ごしますが、自宅で看ていたら絶対そんな“祖父のためだけに使う時間”をまるまるとれなかったでしょう。

 

介護の負担がないから、面会のときだけ思いっきり祖父に気持ちを注げるようになったのです。

祖父も、最後の3年間過ごしただけなので、わたしの家にはそんなに思い入れないし、もうここまできたら介護はプロに任せて、わたしたちは面会に沢山行くほうがよい、というのが家族の総意でした。

 

しかし、なんど説明しても“自宅が一番良い”とおもっているケアマネさんには伝わりません。

「じゃあ、もう家では看ないってことですね!」

「いやだから、そうは言ってないじゃないですか。希望にあう施設がなかったら家でみますよ。まずは施設を探してくれませんか?」

「じゃあ家で看ないってことでよろしいんですね!?」

 

なんでそうなる!?笑

このやりとりにほとほと疲れました。わたしとの話し合いでもまだわかってもらえず、その後母とも同じやり取りをして、キレた母が

「そうとってもらってもかまいません!」といってくれました。

 

それから、施設を移って祖父の意識がはっきりする日が増え、明らかに顔をみて目があっているのに、「そう思いたいんですね~、でももう見えないとおもいますよ」と言われました。

確かに焦点合わない時もありますが、しっかり目と目があって、わたしの手をぎゅっと力強くにぎるときがあるのです。

話をきいている顔、っていうのはわかります。それを伝えても、頑なに「そう思いたいのよね。でももうここまで白内障だと見えないですから。」

 

ガンとしてききません笑。別にそれでもいいですけど、家族がそう思っているんだから、「そう思いたいのね~」はあなたの心の中で言えばいいんじゃない?

ケアマネさんは最初の頃数回しか顔を見ていないのに、毎日1時間以上面会している家族の話を、なんであなたが自信満々に否定するの??

と大変いらだってしましました。

 

このケアマネさんは、悪い人ではないんです。介護という大変なことを仕事にしているだけあって奉仕の精神もすごいし、彼女のおもう“良い”ということのためには、とても協力的です。

ただ、その“良いこと”は彼女のおもう“良いこと”で、わたしたちがこちら側の希望を伝えても、流されるというか、ちゃんと聞いてもらえず、最初から彼女が決めてる“最善”へもっていこうとします。彼女にこういってもきっと「そんなことない」と言うでしょうが、最初から答えが決まっているのでこちらの意見をきく耳がないんですね。

これは、お遍路のときに出会った宗教勧誘のおじさんや、この前の比叡山の記事で反省したことと、本質は一緒だとおもいます。

 

つまり、本人に悪気はなく、むしろ“良いこと”をしている、だからこそ他人の気持ちは忖度せずに押し付けてしまう。

自分にとっての最善が、他人にとってもそうだと信じて疑わないからできることですね。

 

わたしはこの“押しつけ”というのがどうにも我慢ならない性分で、妹は「ああこの人とは話してもわかりあえないな、とおもったら事を荒立てずにハイハイといってちゃんと聞かない」とうまくあしらっているそうなのですが、わたしはぶつかってしまいます。

 

最近、悪意をもって為す悪事よりも、善意の人がやる押付け行為のほうがタチが悪い、なぜならそれが本当に正しいか反省する目を持たないから、とさえおもってしまいます。

 

意地悪ですね~。でも、自分自身に対してもこの目を向けていきたいです。

 

こんなに“善意のおしつけ”がことあるごとにわたしの中に問題意識として出てくるということは、きっと意味があるとおもいます。

一生かけてこのテーマに向き合わなくちゃいけないのかも。

 

小さいほうの点滴は2週間で終わり、その後は自費で続けるかどうかときかれましたが、家族親族で話し合って、延長はしないことに決めました。

ここでもまた同じことの繰り返しで、本当に良いのか、死にますよ、と念を押されるわけですが、むこうも後から揉めるのが嫌だからか、けっこう強い言葉を使って言質をとってきます。治療についても、熱がでたときは苦しいのはかわいそうなので抗生物質は使う、でも無理に血圧あげる薬は辛いらしいので使わない、と事細かにきめていきます。

 

わたしは、先生から言われた「点滴をして水分をとらないと、砂漠にいるように乾いて辛い」という言葉が気にかかってしまい、点滴をやめることには悩んでしまったのですが、今は便利な時代で、いろんなところから情報があつめられるので、それで家族が「いよいよとなったら、身体は死ぬ準備に入ったらそんなに水分は必要ない、むしろ点滴で無理に水分を入れると、腹水になったりして辛い」

ということを調べてきてくれて、決意することができました。

同じような状況で、点滴を続行した方からは、亡くなった後に皮膚の下に水分が溜まってしまい、それが破けるのが怖くて死装束に着替えさせられなかった、点滴で過剰な水分をいれていたんだとあとからわかって後悔している、というお話をきくことができました。

今だとネットやブログなどで、こうして介護のことも書けますが、昔は医者の言うことはすべてその通りとおもうしかないから、判断は難しかったですよね。

 

でも、何を選んでも家族が必死で一番良いようにと考えてやっていたことだと、相手もわかってくれているとおもいます。

 

わたしも祖父をまだ家で介護していたときは、けっこうスパルタで好き嫌いにも厳しかったのですが、亡くなってからもっと優しくできたんじゃないかって、やっぱり後悔しました。終わったからおもえることで、その最中は必死なんですよね。だからあれが精一杯だから、堪忍してね、というかんじです。

そして、あれだけ介護いつまで続くのかとおもっていたから、もしかしたら亡くなった時も冷静すぎて泣けないんじゃないかと心配していたのですが、ちゃんと泣けた自分にホッとしました。

もちろん、どこかで介護生活が終わったことに対する安堵もあります。でもそれだけじゃなくて、もう手を握り返してくれたり、あの笑顔は見れないんだなとおもうと、すごくすごく寂しくなりました。

 

眠るような穏やかな顔で逝ったし、まだ動けた時から「わしはいつあっちに逝けるんかな~、ばあさんなかなか迎えに来んなあ」と言っていたので、ようやく逝けて良かったね、ともおもいます。あの世のほうが知り合い多いし、あっちで逢いたい人に久しぶりに逢えているでしょう。

だから悲しい、というのはないのですが、寂しいですね。

 

遺影の写真を、大慌てで探したのですが、とても祖父らしいはにかんだ笑顔の良い写真を用意することができました。

これが結構大変で、亡くなってから通夜まで中1日しかなかったので、時間ギリギリでした。

デイなどで撮ってもらえたものは、最近だし単独だしベストだったのですが、写真でもらっていてデータじゃないので、遺影に引き延ばすと荒くなってしまうんですよね。それで、弟が一眼レフで撮った写真を急遽PCに送ってもらいました。この容量の多いデータを開くのにもひと悶着あったり・・・。

 

バタバタとしたことが終わって、ふっとその写真を見ると、“ああ、おじいちゃんってこうゆう笑い方をよくしていたなあ”とおもうと、泣けました。

だから、遺影の写真って大事です!笑

うちの両親も、これから毎年良い遺影の写真候補をつくっておこう、で新たに良いのが取れたら更新制にしとこうって話していました。笑

 

いつか必ず来ることだから、準備しておくのって悔いが無いようにするためにとても大切だとおもいます。

それは不吉なことやタブーなことではなく、生き物だから終わりがあるという、命の自然なことです。

わたしは、まだ20代のうちは成人式の写真でいいかな。もちろんまだまだ生きる気満々ですけどね!

 

1年という短い時間でしたが、至らないところばかりのわたしに介護をさせてくれて、老いとはなにか、老後とはなにか、命とはなにかを学ばせてくれた祖父に、感謝のきもちでいっぱいです。

 

フォークルの「感謝」は、二番めの歌詞に

“深い川を 越えたならば わたくしも戻らぬ

だから今が大事すぎて 幕が下りるまでは”

と続きます。

 

わたしもいつか必ず来る終わりまで、生きているときを大事にしていきたいとおもいます。

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