5/7(火) お遍路12日目
ちょっとゆっくりめに6:00に起きて、通夜堂全体の掃除をして7:00には清滝寺を出発。
曇り空から光か射し込んで、高岡の町を照らしていました。
下山後、昨日のうどん屋の前で、店員さんに声をかけてもらいました。
こうゆう小さな交流で、心が暖かくなり、まだまだ歩けるぞ!という気持ちになります。
それから、ちょっと道に迷って時間をロスしてしまいました。
案内板を見ても土地勘がないと、地名をみて方角が合ってるかわかりづらいし、寺まで遠い場所で地元の方に道を尋ねても、歩きで行く方は少ないためわからなかったりします。
方位磁石と歩き遍路地図で大抵は解決するのですが、自信がないときは奥の手で、スマートフォンのGoogleMAPに頼ります。
歩いている最中は、バッテリーを保たせるため、また連絡がとれることのわずらわしさから離れるために機内モードにして、カメラとしてだけ使っていますが、小さい道に入ってイヤな予感がするときに使うと、確実に正しい方向に導いてくれます。
しかし、かえって細い道を案内されわかりづらい時もあり、なるべくは使わないようにしていますが、本当に困ったときには頼りになりますね〜。
遍路道に戻ってからは、道標を見失った場合は、多少遠回りでも地図と照らし合わせやすい大きな道に行った方が良いなと反省しました。
ファミリーマート土佐宇佐店に11:00頃到着。
ルート的に、青龍寺に行ってまた橋を渡って戻ってくるので、ここに大きなザックをお店に置かせてもらって、小さな荷物でスピーディにピストンすることにしました。
店内がとても広く、ザックはイートインコーナーに快く置かせてもらえました。
橋を渡ると、人里離れたところに明徳義塾のキャンパスがあります。
元横綱 朝青龍はここの出身で、青龍寺にちなんだ しこ名ですが、この隔絶された寮生活が嫌で脱走したことがあるそうな。
橋を渡りながら、バスも少ないし宿泊施設以外近くにお店も娯楽もないし、遊びたい盛りの少年がここで暮らすのも脱走するのも大変だろうな、と思いました。
36番 青龍寺へ。
山門から階段が続きます。
中には滝があってマイナスイオンたっぷり。
ここにくるまでのかつお峠という場所を越えたときに、ちょうどヘビに出会い、青龍寺という龍に関わるお寺に行くのにラッキー!お迎えかな?と勝手に解釈して喜びました笑
本堂の隣には、山のお寺の常で、神社もありました。
本堂からさらに700m山道を登ると、奥の院があります。
参道には木製の鳥居が並んでいるのが面白かったです。
鳥居の額には「不動明王」の文字があり、お寺に違いないですが、門は明らかに神社の鳥居の形です。
この鳥居から先の、石畳みの参道部分からは土足禁止でした。
裸足になって、しっかり頭を地面につける三礼をしてお参りしました。
そうしたくなるような雰囲気がある場所です。
本堂には団体のお遍路さんたちがいて賑やかでしたが、ここは静かで、とても集中できました。
両脇の天狗の像もとても可愛く、神仏習合のことからみても、ここも山伏など修験があった場所なんだろうな、と思いました。
その山の中に、四国八十八ヶ所の本尊を掘った石仏があり、苔むしていて素敵でした。
それからファミマでザックをピックアップして、ファミポテとアイスを食べて休憩。
14:30に出発。
奥の院などに寄って時間がかかったため、日暮れ前に今日の宿に辿りつけるか焦りながらひたすら宇佐の内海沿いを歩きます。
四国ではよく道端や空き地などに、こういった屋根付きの木箱が置いてあるのですが、なんでしょう?
けっこう人里離れたところにあるので、回収に来るのも大変そうです。
17:00頃、まだ日は落ちていませんが、宿までまだ10㎞近くあり、到着が19時過ぎそうで焦りながら歩いていたときに、通りすがりの車のおじさまに声をかけられました。
「乗って行きなさい!」と。
同じ方向に行くというので、車乗せていただいたのですが、これがエライことになりました…。
いきなりおじさまがマシンガントークで話しはじめて、”ん?!”と思い始めたら、なぜか車のスピードを20キロくらい走行するのです。遅すぎるので、後ろの車が追い抜いていきますが、危ないです。
ハラハラしていると、真言宗批判からはじまって、「空海さんが苦しんで亡くなったのは◯◯経(仏教の1経典を信仰する宗派ですが、わたしはこの経典に詳しくなく、この宗派の方々が皆この方のような考え方をされているかわからないため、伏せておきます)を信じなかったからだ」ということをおっしゃっていました。
わたしはお遍路をしていますが、真言宗の信徒ではなく、家は日本で一番メジャーな仏教徒の家系ですが、わたし個人が空海さんに思い入れがあること、今のわたしには山伏や密教の考え方がしっくりくるので学びたいと思っているだけで、どこか特定の宗教や団体に所属してはいませんし、同じように特定の宗教や団体を攻撃するつもりもありません。
わたしは神社もお寺も好きですし、アニミズムもしっくりくるし、日本のものに限らず、神聖なものはそれを大切に思う人々含めてなんでも尊重したいと思っています。
しかし、そのおじさまには、そのことはまったく理解してもらえませんでした。
まず、真言宗の信徒でないわたしが、白装束でお遍路をすること自体が間違いだ、と言われました。
その後、仏教の女性蔑視とお経の知識からくる他宗派批判を延々語られました。
宗教や信仰という個人にとって重要かつセンシティブな事柄について、自分の信仰に真剣なあまりに、他人の信仰が自分と違うことを許せず、他人の神聖な領域に土足で押し入って攻撃する人がいることは、昨今の社会情勢からみても知っていましたが、
そういった事柄についてあまり頓着せず良い意味で曖昧さを好む日本に暮らしていて、こんな人に出会った経験がないため、わたしはすごくショックを受けてしまいました。
わたしも上手く流せればよかったのですが、嘘でも「そうなんですか〜」などと話を合わせることがどうしても出来ず、黙っていたら、おじさまから「なにか反論ある?納得してないように見えるけど」と言われ、
わたしは経典については詳しくないので、おじさまの言っていることが本当かどうかもわからないけれど、その経典がどうとかいうことより、
お遍路する人は様々だけど、別に経典に詳しくなくても、もし仮におじさまの言うように真言宗が間違っていたとしても、ただただ仏を慕ってお遍路する人の尊さがあなたには分からないのか?
素朴な人々、宗教家ではなく市井の、特別な学はなくたってただただ神仏に帰依して信仰している姿の尊さ、その姿の純粋さがもし分からないのなら、そんな目の前の仏の心に気づかないような人が、どうして膨大な経典の中から真理だと思えるものがこれだとわかるのか、わたしにはわからない。
また、◯◯経が本当に良い教えならば、良い!とう部分で信じさせるべきなのに、信じなければバチがあたる、地獄に堕ちるというのは脅しと一緒で、もし本当に良い教えなら、反感をかう広め方はもったいない。
良く生きることが重要で、どう良く生きるかは自分と仏、自分の中の仏である良心、と対話すれば良いことで、◯◯経を知らない人や成立前に生きていた人を、”◯◯経を知らない、信者じゃない”という理由で地獄に堕とすなんてことは、仏は絶対にしないとおもう
と言いました。しかし、こういう方にとって相手の言葉は重要ではなく、言われたことの意味を考えるより自分の主張をしたいだけで、わたしの言葉はたぶん聞いてるようでなにも理解されないで、ただ”反論している””批判している”とだけ受けとられたようです。
わたしのことを敵だと認定したのか、車を路肩に止めて、「◯◯経を破壊する者」と言いはじめたので、これはいよいよわたしは無事に車から降りれるのか、不安になってきました。
でも、不安よりも、わたしはわたしの心を、信仰を、思想を、外圧で変えたり誰かに強制されたくない!
たとえそれが正しかったとしても、”こう思え”とコントロールされるのは我慢ならない。
外圧ではなく、わたしの内側から自然と出てくるものでなくては嫌だ!
という気持ちで、怒りのような負けん気がむくむくと湧き上がり、怖さを上回っていました。
話し合いではなく貶めることが目的ならばディベートは成立しないので、
「ありがとうございました、助かりました。ここまでで結構です、もう降ります」と言ってドアを開けようとすると、
さすがに最初は駅前まで乗せるという名目でわたしに声をかけたのに気まずかったのか、急に道を戻って駅までおくってくださいました。
お礼をいって別れましたが、最後に「あなたの末法で地獄に落ちないように祈る」などと捨てゼリフを言われたので、わたしも怒りのままに
「良く生きたかどうかは仏はちゃんと見ているので、大丈夫です、あなたにはわからないんだろうけど。心配ご無用。」
と言い返してしまいました。
駅から歩いて、無事に日暮れ前に今日の宿市川旅館に辿り着きました。
建物は古かったですが、夕食のかつおのたたきは甘みがあって美味しかったです。
しかし、心の中は先程のやりとりでざわざわと乱れていて、落ちつかなかったです。
おじさまは空海さんのこともこきおろしていましたが、死後1200年たっても未だに影響力のあるカリスマ性のかたまりの空海さんと、おじさまでは比較にならないし、もしおじさまの言っていることが真理ならば今頃空海さんを越えていないとダメなんじゃないか?
それをツッコむと、「今の日本人は宗教的に勉強が足りないからだ」と言っていました。
確かに、わたしは経典についてほぼ何も知らないくらいのレベルです。だから、もしかしたらおじさまの言っていることが本当かもしれないし、その正誤はわたしには判断出来ません。
ただ、どんなに経典研究で理論武装しても、目の前の尊い信仰の気持ちを踏みにじっても平気でいられる、自分と違う信仰は信仰と認めない、その一点が、わたしにはどうしてもそれが神仏の大きな懐ろの広さと相入れない気がします。
だからいくら話をきいても、神聖なものに触れたときのきらめきは感じず、ただただ排他的な考えの居心地の悪さをかんじました。
それは、おじさまが言うようにわたしが勉強不足だからでしょうか。
でも、それが今のわたしの本当で、わたしは他の誰より自分の心を信じたいとおもいます。
それが独りよがりのナルシシズムだとしても、自分を信じられないでいてどうして自分が信じたいとおもうものが決められるのでしょうか。
しかし、わたしもおじさまのテンションにつられて、その場で攻撃的に言い返してしまったことは、後味悪く心にしこりとなって残りました。
わたしは自分と違うものを信じていたとしても、そんなことは本質的には大した違いではなく、その敬虔な気持ちや尊さは変わらないから、お互いに尊重したいと思っています。
だから、おじさまにわたしのスタンスを攻撃されたときに、なんでこんなに攻撃的なんだ?!とその態度を批判してしまいましたが、そうやって批判すること自体、わたしもおじさまの信仰のかたちを認めてはいないということになるのではないか?
口では色々な価値観があってよいと言いながら、自分と同じような考えを持っていないところを嫌だと思って、おじさまと同じようにわたしも彼の考えを自分よりに強制しようとしてはいないか?
とぐるぐる考えてしまいました。
ここで彼と出会ったことは、わたしにとってしんどい出来事でしたが、とても考えさせられました。
また、これまで車のお接待などでも良い人たちばかりに助けられ、お遍路さんへの善意があることになんの疑いもなく受けてきてしまいましたが、世の中には色んな人がいるのだから、もっと見る目を養って警戒心を持つことも重要だとおもいました。
とくに、お遍路は50〜60歳くらいの年配の方が多く、20代のわたしは特に珍しがられ、女子1人もあまりおらず、野宿しながらの通しの歩き遍路などほぼいないので、大変驚かれます。
しっかり上下白装束を着ていることからも、「この子はなにかすごい大変なことがあって、ワケありでお遍路をしているんだ」と思われるらしく、普通の若者より宗教に勧誘しやすいと思われるのもしょうがないのかもしれません。
野宿しつつの歩き遍路なのに、幸運にも金銭トラブルや女子として怖い目に合うことはなかったのですが、こういった宗教関係の勧誘という名の押し付けには、この後もあって毎回もやもやとした気持ちになりました。
その度に、”こう思え””これが正しい”と心を強制されることに対して、わたしは人一倍我慢がならない人間なんだ、過剰に拒否反応が出てしまう、ということが自分でわかってきました。
宿に着いてから、久しぶりに家族と電話しましたが、「そんな人に煽るように言い返して、なにかあったらどうするの!穏便に話を合わせて済ませとけばいいのに、馬鹿じゃないの」と叱られてしまい、自分でも冷静に考えるとその通りだなとおもったのですが、
心の問題がわたしにとってとても重要で、今回お遍路をやろうと思ったのも、それまでの”この人についていけば大丈夫、この人の言うことを疑わずに信じれば大丈夫で、そこに未熟な自分の考えなど入れないほうがよい”という前の仕事場にいて、
自分の人生の選択ですら誰かに決めてもらいたくなっていることに危機感を感じて
このお遍路を
“どこまで進むか、自分で行く場所もそこまでの行き方も過ごし方も決める”旅にしたいとおもってはじめたのでした。
だから、少しでも心を強制しようとする気配を感じると、死んでも従いたくない!みたいな強い拒否反応がでてしまうのかもしれないです。
これはわたしの特徴なのか、とくにこの旅の間は過敏になっていたのか、それによってわたしも誰かに攻撃的になってはいないか、自分が嫌だと思う頑なな人間に自分がなっていないか…考えはまとまらず、眠れない夜を過ごしました。
朱印300✖︎2 600
市川旅館 4750
コンビニ230➕381➕210 821
水100
計6271
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