81番 白峯寺で崇徳上皇の和歌をみる

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5/25(月) お遍路29日目
5:30にうたんぐらさんの朝ごはん。

  
朝早くから、こんなに品数の多い朝ごはんと、おにぎりを作っていただいて本当にありがとうございます‼︎

昨日歩いて先の79番 天皇寺 高照院を打ってから戻ってきていたので、そこまで他のお遍路さんと一緒に、うたんぐらのご主人に車で送っていただきました。

遍路道の山越えのルートや傾斜をみると、順番どおりに80番 國分寺に行くより先に81番 白峯寺に行くほうが歩きやすいので、白峯寺へ向かいます。

  

  

鳥居をくぐっていくと、登りの階段が辛くて朝からヒイヒイ言っていました。

白峯御陵に行く道には、”西行法師の道”があり、和歌を彫った石碑が並んでいます。

  
これは全て、保元の乱で讃岐に配流され憤死した崇徳上皇を悼んだ歌です。
「思ひやれ 都はるかに沖つ波

立ちへだてたる 心細さを」
この崇徳上皇の和歌からは都への恋しさや、見知らぬ土地での寂しさがストレートに伝わってきます。
崇徳上皇といえば怨霊伝説が有名で、自分の舌を噛み切った血で「大魔王となって日本国を転覆してやる」って宣誓文を書いたり、生きながら鬼か天狗のような姿になったというエピソードがよく知られています。
弟である後白河天皇と京の都を震え上がらせた崇徳院ですが、優れた歌人で百人一首の77番
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

わすれてもすゑに あはむとぞ思ふ」
(流れの早い川の水が岩にぶつかって二手に分かれてしまっても、また一つになるように、わたしたちも今は離ればなれになってもいつか必ず再び会おう)
という大変ロマンチックな和歌を詠んでいます。

わたしはこの和歌が大好きです。
小学生の頃、瀬尾さんという友達がいて、国語教師の娘である彼女の名前は”はやみ”さんでした。

和歌にちなんで付けられたんだよ、と彼女が教えてくれたことを思い出します。

千年も前のラブレターの一文を名前につけるなんて、なんてロマンチックな親御さんだろう、いいなあと憧れました。
その和歌が、怨霊の魔王宣言した人が作ったものだと後から知ってびっくり笑

でも、知った順序のせいか、わたしには崇徳上皇が恐ろしい怨霊ではなく、芸術家で情熱的な不遇の高貴な人、という好ましい人物におもえます。
崇徳上皇は、死んでもあれだけ焦がれた都に戻ることは叶わず、遺骨は白峯山 稚児嶽上埋められました。

それがここ、白峯御陵のあるところです。

  

早朝8:30で辺りには誰もおらず、しばし崇徳院に思いを馳せました。

これまたわたしの大好きな歌人、西行法師が四国遍路の際に御廟に参詣すると、崇徳院が亡くなってからまだ数年なのに陵は荒れて参詣する人もいない惨状だったそうです。
そこで一晩読経をあげると、崇徳上皇が現れて
「松山や 波に流れて こし船の

やがてむなしく なりにけるかな」
と一首詠み、西行法師が涙をながして
「よしや君 昔の玉の 床とても

かゝらむ後は 何にかはせむ」
と返歌すると、御廟が鳴動したそうです。この鎮魂絶唱の和歌は、後に広く知られるようになったとのこと。

ここから、石碑に見られるような保元の乱に題材をとった哀悼の和歌が多くの人に作られるようになったのかもしれません。
  
陵は穏やかで静謐な空気の場所で、和歌で崇徳院が「むなしく」と言っていたように、もう怒りや恨みなどの激しい気持ちは残ってないように感じました。
それから81番 白峯寺へ。

  
珍しい形の山門だそうです。
お寺の中にも崇徳上皇が祀られています。

  

香川の霊峰の五色台は赤峯、青峯、黄峯、黒峯、白峯の五峯からなり、白峯は一番西よりの標高377mです。
霊峰なので修験道もあったようで、神奈川の大山の山伏天狗が、はるばるここでも修行して、そののち白峯の守護神、崇徳院の守護神として相模坊大権現として祀られています。

  

  
境内は山の斜面に沿って各如来や七福神ごとにお堂がわかれていて広いです。

  

山門から出て山道を先に進むと、摩尼輪塔と下乗石があります。

  
本来の順番どおり80番の國分寺から81番白峯寺にくると、この石のところで下乗します。

下乗石とは、どんな高貴な人も、ここから先は聖地であるから馬や籠など乗り物から降りて、自分で歩いて参拝しなさい、という目印です。
摩尼輪塔は、仏道修行のステージのうちの、至極の境地である「妙覚」の一歩手前の「等覚」位を示すもので、それを厳しい山道の修行と重ね合わせて、山裾から修行をへてここまでくればゴールまでもう少しですよ、聖地の一歩手前ですよ、ということを示しているそうです。
摩尼輪塔は全国でも珍しいものみたいです。

この白峯山中には、他にも岩石に地蔵菩薩と次の札所への距離を彫った”丁石”というマイルストーンかあり、まだ遍路道や地図やコンパスなど整備されていない昔のお遍路さんにとっては、山中で目印を見つけたらどれほど心強かったか。

  
1人で歩くわたしも、その気持ちがよくわかります。

  

この石仏の石は五色台山中にはない石なので、昔の信仰心の篤い地元の方が、どこからか石切場から山を担いで運んだのかとおもうと、尊いってこういうことだなあとおもいます。

白峯山中には、歴史や植物の解説板が豊富にあり、とても面白いです。

  

  
ホタルガの解説に、わざわざ”

よわよわしく”とつけているところなんかセンスがありますよね〜。

山道が二又に分かれるところがあり、そこから81番 國分寺と82番 根来寺にわかれます。
わたしは重いバックパックをこの分かれ道のところにデポして、貴重品だけもって82時を打ってからピストンでここまで戻ってくることにしました。

後半へつづく

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