神倉山ゴトビキ岩とハプニング 熊野古道2日目 後編

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熊野速玉神社を参拝してから、歩いて新宮市の千穂ヶ峰南側にある、元熊野速玉神社だったという神倉神社へ向かいました。

新宮市は古代では熊野神邑(くまのみわのむら)と言われており、日本書紀の神武天皇紀に記載があります。

「戊午年(紀元前3年)熊野神邑に到り、すなわち天磐盾(あめのいわたて)に登りて」という文です。

この天磐盾というのが、ゴトビキ岩を掲げる神倉山です。

 

着いたころには少し日が陰ってきて、日暮れまでもう少しという時間でした。

境内には地元の子ども達が小さな川で遊んでいたり、お年寄りたちがおしゃべりしていて和やかな雰囲気でした。

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朱色の鳥居が緑の中に映えて神々しいです。一気に神域という厳粛な雰囲気がでてきました。

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鳥居をくぐるとすごい石段です!途中でザックを置いて登りましたが、息が切れました。

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源頼朝が寄進したといわれ、538段もある急な階段です。

毎年2月6日の「お燈祭り」では白装束の男たちが松明を持ってこの階段を駆け下りるそうです。

 

ひいひい言いながらたどり着いた頂上には、ご神体のゴトビキ岩と拝殿があります。

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拝殿に覆いかぶさるように張り出しているゴトビキ岩はすごい迫力です。熊野の神々が降臨された場所といわれるのもわかるような、磐座の神々しさがあります。

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今思ったのですが、「ゴトビキ」の語源はなんなんでしょう?

四国お遍路のときに琴弾神社という神社に参拝しました。これも小高い丘の上で海の近くでしたが、音が似ていますがなにか共通するものがあるのかな。

 

地元のおじさまが、「この岩と岩を繋いでいる注連縄がかかったスキマがパワースポットなんだよ~」と教えてくださいました。

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ヒンヤリした空気がそこから吹いてくるように感じました。

 

この拝所からは熊野川の河口に開けた新宮市の町と海まで見渡せます。

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古代の巨石信仰が感じられるとてもすてきな神社なので、熊野三山巡りで熊野速玉神社を訪れる際にはぜひ一緒にお参りしてほしい神社です。

 

日が暮れてきたので一気に石段を駆け下りました。

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それから歩いて新宮駅へ。この日は那智のほうに宿をとっていたので、電車でむかいます。本数が少なく、次の電車までに1時間くらい間があったので、駅近くの居酒屋で早めの夕食をとりました。

 

2両しかない電車に乗って那智へ。19時くらいで、あたりはもう真っ暗。

 

電車を降りてから、宿はもう一つ先の那智勝浦駅だったことに気づきました。やらかしてしまった~わたし!!

メールなどでは確認していたのに、次の目的地は「那智」に行くとずっと言っていたので自分でも勘違いしてしまい、一つ前で下車してしまったのです。なんたること。そして、時刻表を確認すると次の電車は、なんと22時・・・

 

友人に平謝りでしたが、この日一日で本宮から川下り、速玉神社に神倉山の石段登ったりとだいぶ疲労がたまっていたにもかかわらず、わたしを責めることなく前向きな友人。

 

ただ電車を待っているより、1時間くらいの距離なら歩こう!と言ってくれました。こういうピンチや失敗のときに、相手の人間性ってほんとにわかりますよね。そしてわたしのダメさも・・・笑

 

待つよりは前進する若いわたし達は歩き始めました。

が、ほんとに周りが真っ暗なんです。民家もすくないし、なぜか電気ついてないし、街灯もないし、コンビニもない。お店もない。ザックの中からヘッドランプを取り出してつけました。

古道用でしたが、まさかここで使うとは!現代日本の、平地を歩くときにここまで暗い道があるなんて、とびっくりしました。なめてました和歌山。ハンパないです。

 

友人に対して申し訳ない気持ちもありながら、あまりにその当時住んでいた東京の夜と違って本物の暗闇のある和歌山の夜に興奮していました。友人もネチネチ人のミスを責めたり不機嫌になるタイプではなかったので、歩くとなったらこのハプニングを楽しんでくれていたのも、わたしにとって救いでした。

 

そんな人ってめったにいないですよね。もしかしたら彼女だって疲れていて「マジかよ、勘弁しろよ~!」と言いたかったかもしれませんが(こんな口調じゃないけど)、その気持ちがあったとしてもわたしにまったく感じさせないようにしてくれていたので、それがとっても有り難かったです。

 

彼女のおかげで、こんな大変なポカをしたにもかかわらず、わたしはずっと楽しかったのです。

 

20分くらいでしょうか。菅笠の上にヘッドランプをつけて、2人でテクテク歩いていたら、あまり交通量のない車道に1台の車が通りかかり、わたし達の横でとまってくれました。

 

車の窓を下して、「旅の人だよね?どうしたの、どこへ行くの?」と声をかけてくれたのです。

 

わたしたちは20代前半の女子二人だったので、これが男性だったら親切な方でもちょっと警戒してしまうところですが、ご両親とわたし達と同じくらいの娘さんの優しいご家族だったので、事情を話して那智勝浦に向かっていることを伝えました。

 

すると、花火を見に今からそちらのほうへ向かうので宿まで送るよ、と言ってくれました。

 

なんてラッキーな!!と、今書いていて思い返すと、どう考えても都合が良すぎですよね。親切なご家族がたまたまわたしたちの近くを通るなんて・・・きっと、熊野三山の神さまたちが、「えええ、間違えて駅降りちゃったよ、しょうがないなもー、親切な人に助けてもらうか」って縁を結んでくださったんじゃないかな、とおもいます。

 

当時はそこまで頭がまわらず、ただただご家族の優しさに感動しました。奥様が、「そのどデカいリュックと、旅人の笠が目立ってたから、こんななんもないとこ歩いてどうしたんかな~とおもった」

とおっしゃっていました。熊野本宮で買った菅笠が、旅人の目印として役に立ったのです。

 

これはお遍路しているときもおもいましたが、旅装束には旅装束の利点があるというか、信仰上の意味だけではなく、地元の方に“旅人ですよ”ということが一発でわかってもらえるという利点があります。だから道を間違えていたり、困っているそぶりをしていたら、親切にしてもらいやすいというこはあるとおもいます。その分こちらの身の振る舞い方もきちんとしなければいけないわけですが、今回の件で菅笠がなかったら、ただ歩いているだけに思われて声もかけてもらえなかったとおもうと、ほんとに笠被っていて良かったなあと心底思いました。

 

お宿「はな」の前で下してもらい、ご家族にお礼をいって別れました。お名前も聞けなかったけれど、あの時は本当にありがとうございました。自分の最悪な失敗が、このご家族のおかげで紀州の人に助けてもらった素敵な思い出に変わりました。

 

このお宿「はな」は値段が手頃で、昔ながらの“民宿”の雰囲気が残っていて、でもとても綺麗でとても素敵なお宿でした。

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この後、3年後に和歌山へ再度女子旅をしたときに友人が偶然予約してくれて再訪しました。

このときはさらにリノベーションされておしゃれになっており、若女将が可愛くてまた再再訪したいとおもいました。

 

お宿についてすぐにお風呂に入り、「スズランの間」へ。部屋は和室で、布団をひいてゴロゴロすると実家や祖父母の家にいるような居心地の良さです。

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明日の那智大社行のバスの時刻を確かめるために、那智勝浦駅前までいきました。

暗い中バス停がよくわからず、JRの職員さんにバスの時間について尋ねてみると、バスはJR系列ではなかったにもかかわらず、その人自ら走ってバスの関連のところへ行って、わざわざ時刻表をもらってきてくれました。

 

ここでも、紀州人の親切さに感動しました。紀州の人々は、昔から熊野詣などで旅人が多い土地だからか、旅人をもてなす心が根付いているというか、助けてあげようとする人がとても多いなと思いました。地元の方々が、旅人に声をかけることを躊躇せず、自分の仕事外のことでもなるべく快く説明してくれるのです。

 

素晴らしいとおもいます。わたしはこの旅で、いっぺんに和歌山が大好きになりました。

 

熊野古道や、熊野三山、たくさんある神社や自然も素晴らしいですが、旅の醍醐味であるその土地の人々との出会いが、すべて良い思い出になったからです。紀州の人からこの上ない旅のお土産をいただいたとおもいます。この旅のあと、地元の友人などに「日本の良さを知ると言ったら京都・奈良だとおもっているでしょ?そこももちろん素晴らしいけど、和歌山に行かなかったらまだ日本の良いとこを知ってるとは言えないね!ぜひ行くべき!!」と説いてまわりました笑。勝手に和歌山観光大使を名乗って、国の内外の友人に、おススメの場所ときかれたら和歌山をあげています。

それくらい、人も自然も社寺仏閣も暖かくて良いところ。

 

 

こうしてハプニングもありつつ、あったからこそ、紀州和歌山の良さが身に染みた一日でした。

 

 

 

 

 

 

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