京都は年中大小問わずお祭りがあり、中には鞍馬の火祭りや宇治の県祭など奇祭もあります。
そんな中、10月には伏見区中書島で巨大な松明を引き回す、三栖神社炬火祭(たいまつまつり)があります。
今年2018年は10月7日に神幸祭(炬火巡行)が行われ、10月14日に還幸祭があるようです。
以下に去年2017年のお祭りの様子を紹介しますので、ぜひ興味がある方は観に行ってみてくださいね!
京都伏見区の中書島駅近くに、天武天皇を祀る三栖神社があります。
炬火祭の由来は古代史の最大の内乱、壬申の乱まで遡ります。
これは天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)と天智天皇の息子である大友皇子の戦いで、中央に対して地方豪族を巻き込んだ反乱者である大海人皇子の方が勝つという珍しい戦いでした。
この天智・天武兄弟とその子どもたちにまつわるエピソードは沢山あって、万葉集に残る恋の和歌から二人で額田王を取り合ったとも言われていて、そこから宝塚花組公演になった「あかねさす紫の花」という演劇もできたり、天武天皇が天智の娘である鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ:後の持統天皇)を妻にしたことから、持統天皇を主人公にした里中満智子の「天上の虹」
という作品になったりと、作品のモチーフになりやすいです。天武天皇の子である大津皇子と大来皇女は万葉集に和歌が残っていて、謀反による処刑という物悲しさもあって、いっそう心に残ります。
ちょうどこの時期に日本書紀・古事記の完成、宗教施設が古墳から神社建築への移行、律令制と中央集権の確立などがおこっていて、神社建築史からみても日本史的に見ても面白い、大きな転換期でロマンがありますよね。
さてお祭りですが、この壬申の乱の際に、大海人皇子が近江朝廷との決戦に向かいう際に、三栖の地を通るときに、村人たちが巨大な松明を焚いて歓迎したという故実に由来しています。
戦後一旦途絶えたようですが、平成元年に地元住民により復活し現在まで続いています。
夜20時頃から大炬火(だいたいまつ)に火を灯して、神輿巡幸の先導として、巡行するところが見どころです。
提灯を掲げる氏子に先導されて、炬火がどん!と車道の真ん中に置かれています。日中は普通に車が往来する、街のど真ん中です。
この巨大松明は宇治川に自生する葭(よし)を使って作られています。
葭の育成も合わせて、製作期間はなんと1年とのこと。サイズは、芯の直径が4尺(120cm)、火をつける頭部が直径13尺(4メートル)。
横に寝かせて、30人ほどの男衆に担がれて動かします。
「あーよいよいよ、あーよいよいよ」の掛け声に合わせてゆっくり回します。
炬火近くの担ぎ手の男衆は熱そうですね~。
その後京橋あたりまで運んで、炬火を立てていました。
無事に立ったら、見物客も合わせて万歳三唱。その後パッと解散です。
還幸祭は、朝からの触れ太鼓に続いて2頭の獅子が氏子町内を巡行するそうで、地元のお祭り感があって良いですよね。
祇園祭はスケールがでかいですが、わたしはこういった地元の小さなお祭りの方が風情があって好きです。
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