高尾山 夏の山伏修行 お遍路フラグの2日目


お寺の朝は早いです。

4:30起床、5:00から月輪観を行いました。月輪観がどんなものだったのかや1日目の様子はこちらに書いてあります。

朝の瞑想は、薬王院の大本堂で行いました。朝の澄んだ空気の中で、御本尊の近くでの瞑想はとても気持ちが良かったです。

 

その後本堂で朝の勤行に参加しました。

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わたしたちは特別な一日の朝ですが、高尾山の僧侶の方々は毎日こんな早くからきちんと僧衣をまとってお経をあげているんだなあとおもうと、すごいなあと改めておもいました。

御本尊のすぐ近くまでいって手を合わせることができて、とてもありがたかったです。

 

それから、薬王院の境内の諸堂を参拝します。

大小様々なお堂を、僧侶の方の説明を聞きながら回っていきます。

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天狗の履いている一本歯の高下駄が奉納されています。

御本堂の後ろの階段には、小さな護法童子が並んでいます。サイズがミニマムでとても可愛いです。

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その上に、御本社があります。高尾山は神仏習合の名残が色濃く残っていて、薬王院の境内の中に神社のかたちで飯縄権現が祀られています。

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朱塗りの装飾が美しい社殿の前には、やっぱり烏天狗と大天狗の両天狗が立っていらっしゃいます。かっこいい!!

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山伏先達の方々は、手分けして摂社末社の前で般若心経をあげていました。

そして、この御本社の前でも般若心経のご法楽を行っていました。

わたしはこの山伏修行に参加したのは四国お遍路に行く前だったので、これが神社の前でよまれる般若心経をはじめてきいた機会となりました。神社でもお経を唱えていいの!?とびっくりしましたが、権現社であることや薬王院の境内であることもあって、そういうもんなのかな?とこのときは漠然と考えていました。

その後四国の石鎚山で、こんどは神職の方と神社の前で般若心経をあげたのですが、そのときも“おお!神職の方も般若心経よむんだ~!”とても新鮮な驚きがありました。

 

わたしは神職でも僧侶でもない、ちょっと修行かぶれの山伏に憧れのある女子(女子というのもギリギリな年齢の)なので、詳しいことはよくわかりませんが、色々な神社仏閣や聖地や霊山を回ってみてなんとなくわかったこととして、全てのお経ではなくどうやら般若心経は神前でも唱えてもよいということのようです。なんでかなどはわからないしこれが真実かもわかりませんが、わたしが自分で参拝した場所や経験してきたところでそうだったので、山伏らしく経験則から考えてたぶんそうなんだろうと解釈しています。だから間違っていても怒らないでください笑

 

御本社の奥には、さらに大聖不動明王が祀られている奥の院と、その隣に富士山の神さまを祀った浅間神社があります。

こちらは自分で登山にきたときにお参りしました。

 

その後、お楽しみの朝食です。昨夜の夕飯の美味しさ豪華さからとても楽しみになっていました。

また、精進料理をいただく大広間にある額縁に、「食前のことば」が書いてあり、食事の前にこれを唱えます。

「一滴の水にも天地の恵みあり、一粒の米にも万人の労を納む

願わくはこの御食(おんじき)、己が身を調え、精進の志願を満足なさしめたまえ いただきます」

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食後の言葉もあるのですが、そちらは忘れてしまいました。たしか仏法僧や親に感謝することばだったような・・・笑。

食前の言葉を覚えていたのは、高尾山の山伏修行後も自分の家でご飯をたべるときに、心の中やたまに声に出してこの言葉を言っていたからです。だから漢字や言葉の細部は間違っているかもしれませんが、音として覚えているのはこんなかんじです。一回の修行体験でそのときだけ満足せずに、帰ってから日常の中でどれだけ山にいるときと同じような気持ちを維持できるか、それはとても難しいので、この食前の言葉には唱えるたびに“なるべく山伏らしい自分をキープしよう”という気持ちを思い出させてもらっています。

 

そのあとは写経を行います。身体にお香を塗って清めてから、墨をするところからはじめます。

集中して時間ぎりぎり間に合うかどうかだったので、けっこう早めに筆を動かさないと途中で終わることになってしまうと思います。また、墨はにじんだり薄かったり濃かったりが難しく、慣れていないとバラつきがあってなかなか綺麗な字にはなりませんでした。コツは、筆の先だけしかほぐさず、細い筆先のままで使うことだとお坊さんからアドバイスがありました。

 

その後、法話を聴講しました。このときは、なんと高知の永正寺の野島清志師がいらっしゃって「仏さまに祈る~祈りとは~」という題で四国遍路についてお話しをしてくださいました。

わたしは以前からお遍路いつかやってみたいなあと漠然とは思っていましたが、今思い返すとここで詳しくお話をきいたことで、わたしの中のお遍路熱に灯がともっていったのかもしれません。これも縁ですよね。まさか同じ真言宗とはいえ東京の高尾山で四国お遍路の話がきけるとは。まさかこの2年後に自分が四国お遍路を歩きでやるなんて・・・。

 

法話の中でわたしが特に心に残っていたのは、

「祈りは全ての宗教で同じ。手の形が違うくらいのようなもの。祈りは神仏関係なくても人と人との間でも起こりますね。

人の中には一人一人の仏がいる。相手の仏と自分の仏を合わせる気持ちで、合掌する手の中に自分の仏を出して祈り、会話するように祈る」

 

というような言葉です。わたしの記憶なので、細かい間違いはあるかもしれませんが、わたしはこの言葉をきいたときちょうど前の職場で人間関係が上手くいってなかった時期だったので、とても心に刺さりました。というのも、関係がこじれると相手のことが嫌いになって、嫌いになるとついそういう感情のある自分が嫌なヤツがということを認めたくないから、相手の人格否定をしてしまっていたからです。でも、どんな相手にも仏はあるんだとおもうと、自分の凝り固まった主観から抜けてかんがえてみると、人間関係上の問題で相手だけに非が100%あるなんてことは冷静に考えるとありえないなとおもえました。

そういう意味でも、気づきとなった言葉です。

 

そして、当時はここまで宗教の問題がからんで社会がきな臭くなるとは予想していなかったわけですが、宗教や宗派やそれに付随する色々なものにつける“名前”や“やり方”は違っていても、“祈る”その行為と心に違いはないという見方は、とても大きくて寛容な宗教観で、わたしはとても今の時代に必要な考え方だとおもいます。

 

最後の食事となる昼食は夏にぴったりの涼しげな素麺とスイカでした。

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1号路を男女全員でくだって山を下ります。このころには「六根清浄」の掛け念仏も堂々としたものです。

金毘羅社でご法楽をします。般若心経も慣れてきました。

 

最後に山麓の広場で柴燈大護摩がありました。

護摩は密教の秘法で、そのルーツはインドからきているそうです。密教系の寺院ではお護摩からの火渡りなどもあります。

おなじ真言宗の成田山でもやっていたので、またその模様は詳しく書きたいとおもいます。

 

炎を見つめながら、何遍も繰り返し般若心経や御宝号を唱えていると、身・口・意というしっかり手を合わせて、経を唱えて、心の中にも仏をもつということがだんだんとひとつになってくるような気がしました。

 

護摩が無事終わって、最初に集合した高尾山麓不動院に戻ってきて修行終了となります。

 

2日間ですが、今まで登って身近だった高尾山のことを、より深く知れたような気がします。

修行の内容も、盛りだくさんという言葉が適切かわかりませんが、ここに書ききれてないことも沢山あるので、山伏に興味のある方はぜひ一度、実際に参加されることをおススメします。

山伏というのは、自分の身体と五感をフルに使って、理屈じゃなく経験から感じるものだとおもいます!

バーチャルリアリティーなどが発展している今だからこそ、本当に野山に分け入って山に伏し野に棲む山伏的な感覚を大事にしたいと、強くおもうようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

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