わたしがまだ東京で働いていたとき、中央線沿いに住んでいたので高尾山にはよく行きました。
いくつもルートがあるので、何度行っても違う道を通れば新鮮ですし、景信山・陣馬山のほうから入って縦走して高尾山から降りてくるなどすればがっつり山歩きもできます。
さらに、夏の間はビアマウンテンがあり、山登り後に美味しいビールを飲んで、帰りは安全にケーブルカーという素敵なコースも楽しめます。
いつ行っても人が多く人気な高尾山ですが、今回は山伏ガールとして高尾山の薬王院が主催している信徒峰中修行について書きたいとおもいます。
わたしが参加したのは2年くらい前なので、今だとまた色々違っていることもあるとおもいますが、どんなものか興味を持っている方の参考になったらいいなとおもいます。
まず、秋夏二つの修行があり、夏は当時は8月の終わり、秋は11月のはじめごろでした。
今調べてみると、平成28年今年の夏の修行は6月の頭でもう終わってしまっているみたいですね。
そのかわり、夏休みの子どもに合わせて「こどもやまぶし会」が8月7日(日)にあるようです。
本格的な滝行修行から数珠つくり、柴燈護摩まで行われるようなので、小学生のお子様がいらっしゃる方はぜひ未来の山伏育成のために参加されるといいんじゃないかな~とおもいます。
2日間の修行ですが、まずは高尾山麓不動院に朝の9時に集合します。山に入る前の、お土産物屋が立ち並ぶ道のすぐ脇のお堂ですね。
こちらで参加者は着替えをしたり、山伏の先達さんの紹介があり、お坊さんから修行を始めるにあたってのお話しをききます。
高尾山は、正式名称「高尾山薬王院有喜寺」といい、1260余年前の天平16年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、行基により開山されました。これは、東大寺の大仏開眼が天平勝宝四年(752)なので、同じくらいの古い時代からあるということです。奈良時代において関東とかまだまだ未開の地で、今大河でやっている真田丸の時代でも家康は江戸という辺鄙な土地をもらったと言われているくらいなのに、そんな古代の時代に、関東のさらに山の中を“ここがお堂をたてたり修行したりするのに適した山だ”とわかるなんて、当時の人の感覚の鋭さ、聖なるものを感じる力はとっても優れていたんだなあとびっくりします。これは日光修験について知った時も思いました。
関東の人々の安寧を祈って、当初は薬師如来を祀っていたとこから、薬王院の名前がついています。南北朝時代に京都醍醐山より俊源大徳が入山して、今の御本尊の「飯縄大権現」をお祀りして中興しました。この飯縄大権現は“権現”という言葉が表すように神仏習合の仏さまで、不動明王に4つの神さまが合体しており、わたしはスーパーお不動さまという印象を受けました。
以前戸隠山に登った時に、すぐ近くに飯縄山もありました。その後もう一度登りにいったのに諸事情で登れなくなってしまったので、今後登りたい山の一つに飯縄山が残っています。
登りました。その模様はコチラから。
きっと飯縄大権現の信仰とかかわりがあるとおもうので、いつか登ってみたいと思います。
高尾山のお坊さんのお話では、修験道とはざっくりいうと、日本古来の山岳信仰を仏教で整理したものととらえられているようでした。わたしはその解釈はけっこうしっくりくるな~と思いました。アニミズムでも神道でも山岳信仰でも、そうした自然の中の色々な物や現象を尊いなあとおもったり美しいなあとおもって、神秘的な力を感じる、その心の中の沸き立つものを、仏教の言葉で解釈していくと理解しやすいとおもうからです。
そして、修験とはなにかというと、神仏からお力をいただく心のエネルギーだと話されていました。
わたしは色んな山を登ってみて、そのことが実感として本当によくわかります。山に入って、ただ歩いて空気を吸って緑をみているだけで心がどんどん晴れやかになって、下山するころには“ああ楽しかった、なんだかこの先もうまくいくな!”という謎の前向きパワーでいっぱいになるからです。
もちろん出家されて僧侶になられた方々はまた別次元の修行をされるんだとおもいますが、これだけでもわたしには十分修行になるし、山伏という在家でも誰でも修行の道を歩むことができる在り方は、とっても貴重だとおもいます。
その後、男性女性別々に分かれて山に入ります。
山を歩きながら、先達さんの唱える「慙愧(ざんぎ)、懺悔(ざんげ)、六根清浄」という掛け声に合わせて修行者も大きな声で復唱します。
六根とは、目、耳、鼻、舌、心、身体の自分自身の6つの感覚器官のことです。
この感覚のアンテナを、自分のなかにある迷いや溜まっている澱みや心のチリやゴミを告白して、掃除することでフィルターをきれいにしておけば、周りにある仏性を感じられるようになるそうです。
不思議と、声を出しながらのほうが登りが辛くなくなる気がします。
わたしは一人で山を登るときは、クマよけにもなるし励まされる気がするので、大きな声で言ってみたりしてます。
四国遍路中も、ほんとにキツイ山道や心細いときには唱えていました。
このときは夏と秋で男女のお滝場の修行場所が違い、今回は琵琶の形の池の琵琶滝、秋には滝がご神体の蛇滝で滝行を行いました。
滝場には滝行専門の管主さんがいて、色々と行場に入る前の清め方や掃除などの作法を教えてくださいます。
滝の水は夏でも冷たく、頭がキーンと冴えわたるようでした。
その後展望台あたりで一時休憩をとります。
山中のメジャーではない道ではあまり他の観光客の姿はなく、「六根清浄」の掛け声も恥ずかしくないですが、展望台付近は観光客も多く、まず声だけで「なんだ、なんだ?」とざわざわして、列を組んで山伏装束の先達の姿がみえるとスマホなどでパシャパシャ写真が撮られるのでけっこう恥ずかしかったです。
でも、わたしも登山にきて山伏と出会ったら絶対写真を撮ってしまうとおもうので、これはしょうがないですよね~笑。
山伏はかっこいいですからね!!(ミーハー)
ただ、同じ仏教国のタイやラオスなどを旅した時におもったのは、沢山すれ違う僧侶の方に対して、現地の方は手を合わせたり拝んだり喜捨したりと敬う姿が多くて、写真を撮っているのはもっぱら外国人旅行者(わたしもその一人でしたが)だということです。
その心が大切ですよね。写真を撮るのも良いけど、まずは手を合わせたりしてからだと、すごく気持ちが良いものになるのではないかなとおもいました。
浄心門をくぐって進むと、仏舎利があります。
舎利塔とは、釈迦の遺骨が納められた塔です。その前には後ろに天狗を2羽(!?)従えた飯縄大権現の像があります。
ここでご法楽して、いよいよ薬王院の境内に入ります。
山門をくぐってすぐ、歌舞伎のにらみのようなポーズをとった天狗様がお出迎えです。
嘴があり青っぽいのが烏天狗。
鼻が長く赤い顔をしているのが大天狗だそうです。
天狗は、山野を駆けて修行する山伏の姿とも重ねられてきました。だからか、山伏装束を着ている姿でもよく描かれています。
高尾山は飯縄大権現の眷属である天狗のモチーフがいっぱいで、天狗大好きなわたしにとってとても楽しい場所です。
御本堂のすぐ隣にある有喜閣にお世話になります。とても広くて、部屋も階も沢山あるので迷いそうになります。
女性と男性は別の棟、階にわかれて、女性はさらに小分けの部屋に入ります。
窓からみた夕暮れの高尾山は綺麗でした。
その後夕食ですが、御膳に用意された精進料理がとっても豪華でびっくりしました。
肉や魚が使えないので、味付けや触感が工夫されていてとても美味しかったです。この精進料理をとってみても、高尾山に泊まる価値があるとおもうので、ぜひ峰中修行に参加することをオススメします。笑
お風呂で汗も流させてもらい、瞑想の修行をします。密教の瞑想は、必ず導く僧侶の指導のもとに瞑想しないと、自己流で変なことになってしまうこともあるというので、一度しっかり教えてほしいとおもっていました。
瞑想の仕方も色々あるようですが、このときは月輪観を行いました。わたしは座禅もやってみたり、瞑想も出羽三山の修行でもやっていたのですが一番苦手で、どうしても雑念にまみれてしまいかえって疲れてしまいました。
でも、密教の瞑想は、無とか観察というやり方ではなく逆にイメージしていく瞑想なので、わたしにとってはとても入りやすく、初めて苦痛ではない瞑想ができたとおもいます。これはとっても嬉しい発見でした。
おじいさんと参加していた小学生の男の子と峰中歩き中に仲良くなったので、夜ムササビの声がしないか少しだけ境内を散策しました。ムササビは、「ギャッツ」というような、けっこうギョッとする声で鳴きます。
夜の高尾山というのは見たことがなかったので、昼間あれだけ人でごった返した場所に自分たちだけしかいないと、なにか特別なような新鮮な感じがしました。
街の光が遠いので星もよく見えます。見下ろすと外套のない真っ黒な山裾がひろがっていて、高尾山ってこんなに広いんだなあとおもいました。
秋に参加したときは、自由参加で僧侶の方との座談会がありました。その時々で変わるのかもしれませんが、そこでも気軽に質問できてとても勉強になったので、また秋の修行は別の機会に書きたいと思います。
秋の修行についての記事はコチラからどうぞ。
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