高雄山登山と空海さんと最澄さんの神護寺 秋の京都旅2日目後編

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いよいよ京都旅2日目の最終目的地、高雄山 神護寺です。

前編はこちら。


神護寺は、わたしの大好きな空海さん、最澄さんどちらにも所縁のあるお寺です。また、日光開山した勝道上人ゆかりの御宝もあって、ぜひ訪れたいとおもっていました。
境内への参道を登って行くと、硯石があります。

空海さんがこの神護寺にいたときに、この石を硯にして対岸の額に筆を投げて(!?)見事文字を書いたという伝説が残っています。すごすぎる。笑

大きな山門を通って、境内へ。

入口で解説のイヤホンガイドを借りられます。結構山内を歴史も含めて詳しく説明してくれるので、一度借りてみるのをおススメします。
門をくぐってまず一番初めに目に飛び込んでくるのは、朱色の柵が目立つ和気清麻呂の霊廟です。
神護寺は和気清麻呂が創建したお寺ですが、彼は平安時代の一大スキャンダル、道鏡事件と関りが深いです。

道鏡事件というのは、ときの天皇の皇位継承問題に弓削道鏡という僧侶が絡んだ、2つの神託をめぐる事件です。

道鏡を寵愛したのは、孝謙天皇という女帝です。彼女は奈良の大仏を建てた聖武天皇と藤原鎌足(中臣鎌足)の孫娘の光明皇后の間にできた娘で、男児は早くに病死したため彼女が史上唯一の女性皇太子となり(女性天皇は他にもいますが、夫の代わりなど中継ぎ役で即位していて、若いころから天皇になる女性として皇太子となったのは歴史上彼女のみ)、天皇に即位しました。その後天皇の位を退き上皇になったあと、病に臥せっていたところに道鏡と出会い、彼の祈祷によって快方したためその後重用します。

道鏡は奈良の葛城山で修行をして秘法を会得したともいわれています。葛城山も修験道や山伏、まつろわぬものに関わりの深い山なのでぜひ登ってみたいですね~。

 

孝謙上皇は道鏡によって命を救われたと考え、なににつけても道鏡に相談するようになります。

それを見かねた淳仁天皇とその後ろ盾の藤原仲麻呂、孝謙上皇と道鏡の間の対立は深まり、藤原仲麻呂の乱がおこり、淳仁天皇は廃され孝謙上皇が重祚(上皇が天皇に戻ること)して称徳天皇となります。道鏡もどんどん政治面でも力を発揮し、天皇に匹敵するような法王という地位も得て、そしてご神託事件が起こります。

 

一つ目のご神託は、769年5月に「道鏡を皇位につけたら天下太平である」という宇佐八幡宮のご神託なるものが届けられます。

道鏡を寵愛している称徳天皇といっても、自分自身天皇家の血筋を絶やさないという目的のために女性ながら皇太子となった人物です。天皇の位に、皇族でもない人間を就けることにはさすがに悩みます。

その宇佐八幡宮のご神託の真偽を確かめるため、自分の腹心の尼僧和気広虫を遣わそうとしますが、九州までの旅は女の身には大変なため、広虫の弟である和気清麻呂を行かせることにします。

清麻呂が宇佐八幡宮に参り、持ち帰った二つ目のご神託は、「わが国は君臣の分が定まっている。いまだ臣もって君となしたことがない。天つ日嗣は必ず皇儲をたてよ」というものでした。つまり、君主と臣下の区別ははっきりしている、皇族でない者が天皇になるなど、ありえないという内容ですね。

これによって清麻呂、広虫の姉弟はニセのお告げを奏上したとして、共に流罪となってしまいます。しかし、道鏡を天皇の地位につけるという話もなくなります。

称徳天皇は、自らに反抗したものに、卑しい名前を付けるという性格があったようで、和気清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)、姉の広虫は別部挟虫(わけべのさむし)にされてしまいます。

この考えの元には、名前や言葉には霊が宿るという言霊信仰があるようにおもわれます。このご神託事件の前に起こった橘奈良麻呂の乱や不破内親王の呪詛事件でも同じように首謀者には元の名前を奪って、改悪したヒドイ名前を与えています。「千と千尋の神隠し」の世界のようですよね。

このご神託事件から1年後、称徳天皇は五十三歳で崩御。病に臥せっていたとき、道鏡は彼女に会えなかったそうです。このとき称徳天皇はどんな気持ちでいたのでしょうか。

後ろ盾を失った道鏡は下野薬師寺に左遷され、2年後に没しました。入れ替わるように和気清麻呂と広虫姉弟は罪を許され、帰京します。名前を取り戻した2人は光仁、桓武天皇につかえ、清麻呂は仏教改革、新都市の造営に尽くし、広虫は後宮につかえ典侍となりました。

それから10年後、清麻呂は和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院を合併して、神護寺の建立を願い出ます。神護寺という寺号は宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味です。天皇の地位を護った和気清麻呂は、今もこの地で境内にお墓があり祀られているというわけです。

 

道鏡事件は生涯独身で子を持たなかった孝謙天皇が道鏡を寵愛したため、愛する男を天皇の位につけたいという気持ちが引き起こしたスキャンダル、ということになっています。一方で彼女は女性の地位向上に尽力し、多くの実績のある有力な女性に位階勲等を与えたことでも知られていて、彼女や道鏡が本当はどんな思いだったのか、道鏡は本当に天皇の地位を欲していたのか、などとと想像を巡らせてしまいます。

通説の歴史学者からみた見方ではなく、乙女の視点から解釈したこちらの本は、また違った視点でこの事件をみていて、興味深かったです。

 

そのすぐ隣には明王堂があります。

ここに最初に安置されていた、空海さん作の不動明王は、天慶3(940)に平将門の乱を鎮圧するために関東に持って行かれました。
それが、千葉にある成田山新勝寺のご本尊です。

成田山 新勝寺もとても良いお寺で、わたしは大好きです。参拝者のために毎日無料で参加できるお護摩があったり、大盤振る舞いの懐の広いお寺なので、また改めて紹介したいとおもいます。

 

階段を上がっていくと、金堂があります。

大きな密教仏堂で、須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)がいらっしゃり、左右に日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)と十二神将立像、左右端に四天王立像が安置されています。

このご本尊のお薬師さんは、他のところの柔和なお薬師さんとちがって、眼差しは鋭く、口元はぐっと引き締められています。

山岳仏教や密教修験の色が濃く、こちらで修行していた人々がこういった厳しめのお顔のお薬師さまを望んだのかなとおもいました。

 

堂内は仄暗く、落ち着いた雰囲気のお堂です。ぐるりに、ケースに入った巻物や曼荼羅などが展示してあります。

そこで目を引いたのは、「灌頂暦名」です。これは空海さん直筆の結縁灌頂という儀式の参加者の名前が書いてあるメモです。

そこには、最澄さんの名前が書かれています。最澄さんは、ここ神護寺の前身である高雄山寺で空海さんによってこの儀式を受けていたのです。そして、この国宝のメモには、もう一人重要人物の名前があります。空海さんと最澄さんの決裂の原因のひとつともいわれる、泰範の名が記されているのです。

 

空海さんと最澄さんの関係は、二人の性格や辿ってきた道があまりに違うのでこじれてしまったようです。そこのところは、司馬遼太郎の「空海の風景」を読むと生々しく描かれていて、読んでいて苦しくなるほどです。

空海の風景〈上〉 (中公文庫) 空海の風景〈上〉 
空海の風景〈下〉 (中公文庫) 空海の風景〈下〉 
もちろんこれは小説なので、書かれていることそのままが彼らの思っていた真実ではないかもしれませんが、司馬さんが丁寧に史料にあたって研究して書かれただけあって、想像で補われたところがとても説得力があって、小説としてもドラマティックで面白かったです。わたしはこの旅の中でこの本を携帯して回っていたのですが、二人の決裂の場面はどちらの気持ちもわかって胸が苦しく、神護寺で「灌頂暦名」を目にしたときは興奮でドキドキがどまりませんでした~。空海さん、さすがというか当たり前というか達筆です。さすが弘法大師!!五筆の伝説の男!!!

 

彼ら二人の遍歴をこの神護寺と前身の高雄山寺に絡めてまとめてみました。

802年、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄さんを、それまでの奈良仏教に代わる新しい仏教の求道者としての期待をよせていた清麻呂の息子たちが高雄山寺に呼んで、伯母の広虫の周忌の法事供養として、法華経の講演を依頼しました。

この高雄山寺での天台講義は、桓武天皇の知るところとなり、最澄さんはそれまでの奈良仏教の力が増していることに嫌気をさしていた桓武天皇のお気に入りになりました。

804年、四国の山野で独自に修行し密教を取得した天才異端児空海さんと、真面目で優秀で朝廷の推しメンだった最澄さんは、同時期に唐に留学します。が、その時はお互い面識はありません。唐では最澄さんは天台密教を学び持ち帰り、空海さんは真言密教の伝法灌頂を受けて、勝手に留学を切り上げて帰ってきます。

最澄さんは生来の真面目さゆえ、天台教をわき目もふらずに学んで寄り道せずに帰ってきましたが、その後空海さんが帰ってきてから自分の持ち帰った密教が部分的だったと知り、法流の違う空海さんに教えを請い、空海さんも密教書物の貸し出しなどに応じます。高雄山寺を中心に両者の親交は深まり、天台と真言の交流へと進展していきます。

810年、薬子の乱が起こり世の中が騒がしい中、高雄山寺にて空海さんが鎮護国家の修法を初めて行います。

最澄さんはその人柄のため、空海さんに弟子の礼をとることさえします。最澄さんは自分の一番信頼していた、優秀な弟子の泰範を空海さんに預け、自分の代わりに空海さんの真言密教を学ばせて、ゆくゆくは一緒に比叡山に持ち帰らせてやっていこうと考えました。

812年、高雄山寺にて空海さんの灌頂が行われます。最澄さんは経典を通じての理解だけでなく、直接大日如来の灌頂を授けられたいとの要望を持ち、十一月十五日に金剛界灌頂、十二月十四日には胎蔵灌頂を空海さんから授けられました。この時のメモが空海さん直筆、国宝の灌頂暦名です。

最澄さんは弟子の泰範とともに進んでこれを受けます。しかしその後、この泰範が空海さんのところにとどまり、最澄さんが再三手紙で戻ってきてほしいと頼んでも帰らなかったことや、密教に対する姿勢の違いから、空海さんと最澄さんは別々の道を進むこととなります。

この弟子帰ってこない事件から、以前は宗派を超えて学びに行き交っていた僧侶を、他宗に行かせないよう宗派間の垣根が高くなったとも言われています。

 

そんな、空海さんと最澄さんの在りし日が目の浮かぶような、すごい寺宝を見て、彼らがここでどんな風に過ごしていたのか、同じこの場所を歩いていたのかもしれないと感慨にふけりました。

 

金堂からさらに奥に進むと、朱色が綺麗な多宝塔があります。内部には国宝の五大虚空蔵菩薩像が安置されていますが、年に6日間くらいしか開放されていません。

金堂の正面の階段から見下ろすと、紅葉の中に五大堂と毘沙門堂が見えます。奥の方の毘沙門堂が、金堂が建つ以前の本堂でした。

毘沙門堂の西側に建つ入母屋造、杮葺きの住宅風の仏堂は大師堂です。空海さんのお住まいであった「納涼房」を復興したもので、内部には秘仏の板彫弘法大師像があります。

地味で質素なかんじの建物ですね。空海さんはこんなお家に住んでいたのか~、夏は涼しそうだけど冬は風の通りが良すぎて寒そうだなとおもいました。

 

ここから多宝塔の方までまた登り、その脇から後ろの山道を進んでいくと、高雄山の山頂に行けるということで、急遽登山を開始しました。

登り始めが14時くらいです。たまに、奥の方から愛宕山山系の登山客が降りてきますが、高雄山山頂は小さなピークらしく、誰も立ち寄っていないようなので、ちゃんと見つけられるか、間違って奥の方に進まないか心配になります。

 

途中に道が二手に分かれて、左手に曲がると

文覚上人のお墓と、性仁法親王墓があります。

見晴らしの良い場所にあるお墓ですね。こんなところに眠るのは気持ちがよさそうです。

さて、先ほどの分かれ道まで戻り、今度は直進します。

 

だんだん道が山道らしくなってきました。

あまり人が通らないのか、倒木などもそのままなので本当に合っている道なのか不安になります。倒木が整備されていないだけなのか、行きどまりの目印として置いてあるのかわからないからです。

しかし、空海さんもこの高雄の山中を歩いたかも!きっと見守っていて側にいてくれているから、ちゃんと山頂に導いてくれるだろうとおもってずんずん進んでいきます。

登り始めて45分を過ぎたころ、この黄色い木の目印と石印に気が付きました。

ここから、細い道を登っていくと、かつての山城の城郭のような、人工的なアップダウンを超えていくと、開けたところに三角点があります!!

ここが高雄山山頂、428.6mです。14:50到着。

地味ですね~。笑

さっきのお墓の方が見晴らしがよいです。でも、このお山に登ってみたかったので、里山な分道がわかりづらく途中引き返そうかともおもったので、たどり着けたときはすっごく嬉しかったです。空海さんのおかげですね!!もしかしたら最澄さんかも。

下りはもう迷いなくさっさと小走りで下山して、15:15には多宝塔付近まで戻ってきました。

 

地蔵院の方へ向かうと、閼伽井があります。高雄山寺で空海さんが灌頂の浄水としてしようするために、空海さん自らが掘ったと伝えられる井戸です。

さすが、四国でもいたるところに水を湧かせ井戸を創りまくっていた空海さん、ここでも必要とあらば魔法のように井戸を掘ってしまうんだから凄すぎます。

 

こちらが地蔵院。

広い寺内には石仏などもあります。

そして、開けたところから、高雄名勝 錦雲渓にかわらけ投げができます。

空海さん、最澄さんもここからこの景色を眺めたのかもしれません。山深く、何百年も変わっていないような美しい風景です。

かわらけを放り投げると、しばらくしてからぱりんという音が聞こえてきます。

この神護寺の上に何層もの時間の積み重ねがあって、その一部には空海さんや最澄さんがいて、今日という日にはわたしがおなじ場所にいてその一部になり、またこの上にもどんどん時間が積み重なっていくんだとおもうと、すごい場所にいるなあという気持ちになりました。

 

「空海の風景」を読んでから行くと、より一層興奮すること間違いなしだとおもうので、ぜひ空海さんと最澄さんに想いをはせに行ってみてください。

 

 

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