I am the master of my fate
I am the captain of my soul.
今週、教えていた英語塾で最後の授業をしました。
そこで、生徒たちに最後の餞別代りに、ひとつわたしの好きな英語の詩を紹介しました。
インビクタスという詩です。
有名なのは冒頭にあげた最後の二行です。日本でいうところの「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩のように、詩の全部を知っている人は意外と少ないけれど、有名なフレーズは人口に膾炙しているような詩です。
INVICTUS – William Ernest Henley インビクタス-ウイリアム・アーネスト・ヘンリー
Out of the night that covers me, 私を覆う漆黒の夜
Black as the Pit from pole to pole, 鉄格子にひそむ奈落の闇
I thank whatever gods ma be 私はあらゆる神に感謝する
For my unconquerable soul. 我が魂が征服されぬことを
In the fell clutch of circumstance 無惨な状況においてさえ
I have not winced nor cried aloud. 私はひるみも叫びもしなかった
Under the bludgeonings of chance 運命に打ちのめされ
My head is bloody, but unbowed. 血を流しても、決して屈服はしない
Beyond this place of wrath and tears 激しい怒りと涙の彼方に
Looms but the Horror of the shade, 恐ろしい死が浮かび上がる
And yet the menace of the years だが、長きにわたる脅しを受けてなお
Finds, and shall find, me unafraid. 私は何ひとつ恐れはしない
It matters not how strait the gate, 門がいかに狭かろうと
How charged with punishments the scroll. いかなる罰に苦しめられようと
I am the master of my fate: 私が我が運命の支配者
I am the captain of my soul. 私が我が魂の指揮官なのだ
わたしがこの詩を知ったのは、この詩がタイトルにもなった「インビクタス-負けざる者たち-」という映画を観たときに、劇中で紹介されていたからです。
この詩は、南アフリカ共和国の初代黒人大統領 ネルソン・マンデラを支えた詩です。
南アフリカは長年アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策をやっていました。国の9割が黒人にもかかわらず、白人の支配者層が国の実権を握り、黒人やカラードを同じ人間扱いしない状況がつづいていました。終わったのは1994年なので、ほんのつい最近ですよね。その事実にびっくりです。
そのアパルトヘイトに対して反対運動をした罪で、マンデラは27年間牢獄に入れられていました。その劣悪な環境で病気になったり、家族の死に目にあえなかったり、辛く過酷な状況の中、彼の支えになったのはこのインビクタスの詩だったそうです。
アパルトヘイトが終わり、選挙によって初の黒人の大統領に彼が選ばれたとき、白人は自分たちが復讐されると怯えたし、黒人の大多数もやってやるとそう思っていました。だけど、マンデラだけは違っていて、復讐より許しが自分の望む未来をもたらすと考えます。過去よりも今、そして未来を考えた。
すごいですよね。30年近く罪のない自分を牢獄に繋いだ人たちを、許すことができるでしょうか?
30年近くって、わたしが生まれてから今に至るのと同じだけの時間です。想像を絶します。わたしだったら復讐の鬼になるな笑 その当時の他の人たちがみんなそうだったように。
でも彼は違うんですね。そういう人、坂本龍馬とかもそうですが、視点が他の人たちより一段階上の場所にあって物事を考えられる人って、本当に必要な時に必要な場所に存在して、歴史を動かしていくんですよね。
マンデラは黒人と白人の対立や憎しみ合いが未だ激しい国を一つにまとめるために、1995年に自国開催したラグビーのワールドカップで南ア代表チームが優勝することを望みました。そして、アパルトヘイト時代の象徴として白人のスポーツだったラグビーを、黒人も一緒に応援するようになるのが大事だと考えます。南アのラグビーチームの主将であるフランソワ・ピエールはマンデラと出会い、スポーツを通じて自分たちの新しい考え、新しい国のかたちを伝えることが平和と安定に繋がると信じて、黒人白人の垣根を超えチームをまとめ、ワールドカップに挑む、という実話に基づいた映画です。
名匠クリント・イーストウッド監督作品なだけあって、無駄を省いた簡潔な描写で色んなことを画面から伝えてくれる映画です。ラグビーのルールがわからずとも、試合の興奮やどれだけすごいことを成し遂げたのかなど大事なことはわかります。
この映画の中で、インビクタスの詩を知って、わたしの心にもこの詩が残りました。
全部は暗記できませんが、最後の2行は、世の中の常識や他人の言葉によって自分の決断に迷いが出そうになったり、自分の人生について悩んだりしたときに、繰り返し自分に唱えます。お守りのような言葉になっています。
映画でもマンデラから獄中の自分を支えた詩について教えられたフランソワが、マンデラの意思を共に叶える覚悟を決めますが、言葉や詩や音楽やスポーツ、大きくいうと表現活動という芸術は、時代も人種も国も性別も超えて、人の心を動かしたり、折れそうな心を支えたり、大切なものを次の世代に伝えていくことができる、優れた装置だとおもうのです。
インビクタス“invictus”はラテン語で「征服されざる者」「屈服しない者」という意味です。
これはイギリスの詩人、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーが書いた詩です。
彼は12歳の時、骨結核を患い左足を切断します。ジャーナリストを志すも病弱なためその後8年間入院生活。
やがて結婚し娘を授かるも、わずか6歳で病気でなくしてしまう。
こうした人生の過酷な試練に向かい合ったときの、彼の心の叫び、魂の救済、不屈の精神を歌ったものが『インビクタス』の詩です。彼の詩が、獄中のマンデラを支え、日本に住むわたしにも届いて、心の支えになっている。
もうひとつ、好きな言葉は坂本龍馬の言葉で
「世の人は我を何とも言わば言え
我なす事は我のみぞ知る」
というものです。これも力強くって本当に大好き。声に出していうと、ドーパミンとか出そうでおススメです。笑
わたしはお遍路中に高知の龍馬記念館に行ったときに、彼が脱藩したのが28歳の時だったと知って衝撃をうけました。それまでただの田舎の剣術が得意な青年が、それから土佐を飛び出して33歳で亡くなるまでのたった5年間で、その当時他の誰も想像できなかった薩長同盟を成し遂げ、日本を動かしていったのです。
そうおもうと、“わたしだってこれからだ、まだまだこれから成し遂げられるぞ!”と明るい、励まされるような気持になります。
世の中が、そろそろ落ち着く年齢だ、やれ結婚適齢期だ、タラレバ女だ(ドラマも漫画も面白いです)、女性は賞味期限がどうのなんて、小せえ小せえ!!そんなの関係ねえ!!!という気持ちになってきます。笑
最近友人と、「常識」ってなんだろうって話をしました。
たしかに、「非常識」って言われるような、自分勝手でマナーのない人間にはなりたくない。でもそれって常識がどうかとかじゃなくて、相手を思いやる心とか、人が嫌なことはしないとか、礼節があれば“常識”があろうとなかろうと出来る気がする。
“常識”という言葉を使うとき、無意識に“自分嫌なだけじゃなくて、他の人もみんな言ってることだから、総意だから”という、なんとなくの責任逃れというかそんな空気があるような気がする。
日本では常識なことが世界の大部分ではそうでなかったり、逆も有ったりで、“常識”なんて自分の目や耳が届く範囲の、狭い世界でのルールであって、その外にはもっと別の可能性ややり方があったり、我慢しないでもっと楽になれる選択肢があるかもしれない。
わたしは英語が得意ではないけれど、英語を勉強していて楽しいとおもったり、子どもたちに英語を教えることに価値があるとおもうのは、英語を通じて異なる文化や、表現や、価値観を知ったり、好きな言葉や物語や音楽に出会うチャンスが広がるから。
日本に生まれて、日本語で本を読んで、沢山心の支えとなる言葉にであったり、坂本龍馬とか歴史の偉人の人生を知って今を生きる自分の人生の励みにするのと同じように、英語が読めれば世界中から、心の支えになるような言葉、魂の栄養になるような言葉に出会うことができる。
違う国の同時代でも異なる時代でも生きた人の生きざまによって、わたしたちは何かを感じ何かを学ぶことができる。それで、色んなことが人生には起きるけど、辛いことや過酷すぎることもあるけど、同じように苦しんだり悩んだりしたのが自分だけじゃないんだと知ること、自分の心に寄り添うような言葉を他の誰かが残してくれているのって、わたしはすごく励みにかんじます。
言葉とか、表現とか、芸術がこの世界にあって良かったな、人間がそういうものを必要とする生き物であって良かったな、と思います。
わたしもインビクタスでありたいとおもう。
生徒たちの心のどこかに、この詩が残ってくれることを願っています。
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